日常日記

店長の日常

今日のぼくの体

6時半に起きたけど、まだ眠かったので、寝たら、そのまま4時間も寝てしまった。その前に7時間寝ていたというのに。最近また、ガーミンの活動量計「vívosmart5」を装着するようになったのだけど、昨晩の睡眠スコアは100点満点中87点であった。とても良好な睡眠を取れたにも関わらず、また4時間も寝てしまう。やはりぼくは、何かしらの病気を抱えているのだろうか。それとも、ただの怠け者か。たぶん、後者だろう。さすがに二度寝のあとは、ぐったりしてしまった。

夜はスマホやパソコンの電源を落とし、本を読むという習慣は、やはりとてもよいかもしれない。昨日も「アンダイング」を読んだ。

 

この本を読んでいると、不思議と心が落ち着く。文章がとてもよいのだ。よいと思った箇所には、付箋を貼っているのだけど、付箋だらけになってしまった。

先週の日曜日は、ご予約がゼロになりお休みになったけど、今日は、ほどよく、お客さんが入ってくれ、とてもよい感じ。昨日の土曜日は、3組のご新規さんが来てくださり、3組さんともご夫婦さんだったけれど、今日も1組のご新規さんが来てくださり、またご夫婦さんだった。1組の方を除いて、みなさん、カップル喫茶初体験であった。最近は、ご夫婦さん率が高くなっているような気がする。

「妾と愛人のフェミニズム~近・現代の一夫一婦の裏面史」(石島亜由美著)という本がある。

 

 

この中に、「ロマンチックラブイデオロギー」という言葉がでてくるけど、エイジャという場所は、「ロマンチックラブイデオロギー」という観点からすれば、あってはならない場所という位置づけになるかもしれない。でも、「ロマンチックラブイデオロギー」こそ、この世界に大きな悲劇をもたらしてきたものは、そうそう、ないような気がする。相思相愛の男女が、ほかの異性の存在にまったく心動かされることなく、お互いを愛し続けるというのは、不可能なことではないとぼくは思っているけど、そのためには、相当な試練が待ち構えているような気がする。神話学者「ジョーゼフ・キャンベル」の言葉に、次のような言葉がある。

 

恋愛は手近な個人的満足にすぎません.しかし結婚は試練です.繰り返し歩み寄ることです.だからこそ神聖なのです.二人の関係に参入するために,一人の単純明快さを手放すのです.自分を相手に与えるのではなく,二人の関係に与えるのです.そして自分が相手と同等にかかわり合っているのだと気づけば,関係性に自分を与えることは,自分を失う不毛なことではなく,人生を慈しみ豊かにする経験となり,人生を築くことになるのです

 

「自分を相手に与えるのではなく,二人の関係に与える」というのは、キャンベルの言う通りだと思うけど、そのためには、二人が「同じ目的を共有する」ということが大切になると思う。そして、その上で、二人が対等な立場で協力的な関係を築くことができれば、二人の関係は永続的なものになり、時間が経てば経つほど、愛もより深まっていくのではないだろうかというのが、自分の人生は棚にあげた上での、ぼくの結婚についての考えなのである。とはいえ、「同じ目的を共有し、対等な立場で協力し合う」というのは、結婚に限った話ではなく、人間関係が生じる場所、すべてにおいて大切になることだと思う。エイジャのマナーとルールは、この観点から考えていたりするのであった。