日常日記

店長の日常

好意の原理

本日3本目のブログ。

いろいろと書きたいことがぼくの中で溜まってきてしまっているような気がするので、

どんどん排出していくことができたらなあと思っております。

以下は、去年の7月に「プレミアム」に投稿した記事になります。今日の2本目のブログの補足的な内容にもなるかなと思い、投稿してみることにいたしました。

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カップル喫茶遊びに限らず、
文化の違いを理解することって、
とても難しいことなのかもしれません。

 

なぜ難しいって、
大抵の人にとっては、
自分が慣れ親しんでいる文化こそが
正しく、一番よいもので、
それ以外の文化は、
間違っている、もしくは、劣っている、
そう思い込んでしまいがちだからではないかと思ってます。

 

「好意の原理」 

 

というものがあるそうです。

 

何かといいますと、

 

「相手の主張を理解するためには、
まずは、相手が言っていることは正しいと、
考えなければいけない」

 

ということなのだそう。

 

これを読んだとき、

 

「ほんと、その通りなんだろうな」

 

と感じました。

 

相手のことを間違っていると考えながら、
相手のことを理解することは、
不可能なのだろうと思います。

 

なぜ不可能と思うのかと言うと、
その時点で、相手に対して、
心を閉ざしてしまっていると思うからです。

 

相手に心を閉ざしたまま、
相手を理解するというのは、
やっぱり、どう考えても、不可能ですよね。

 

心が開いた状態でないと
見えてこないもの、感じられないもの、
というのがあるように思います。

 

そして、
自分の心を開かせるために大切なことが、

 

「相手が言っていることは正しい」

 

とまずは考えることが大切、
ということなんでしょうね。

 

そうやって、
自分の心を開かせることで、
初めて、
相手の言っていることを
理解する糸口が掴めるようになる気がします。

 

とはいえ、

 

「相手が言っていることは正しい」

 

そう考えること自体、
実際には、
とても難しいことなのかもしれません。

 

というのも、
相手の正しさを認めることは、
自分の間違いを認めることになる場合も、
多いと思うからです。

 

自分の間違いを認めることって、
屈辱的なところがありますよね(笑)。

 

なので、
大抵の人にとって、
(もちろん、わたしも含めて)
意見の違う相手が言っていることを正しい
と考えることは、
心理的な抵抗を伴うことになり、
そのために、
相手の言っていることを理解することが、
とても難しくなるのではないでしょうか。

 

文化の違いや相手の主張を理解する際に、
ネックになっているのは、

 

「自分は正しい」

 

と思いたがる、
人間誰しもが抱える習性ゆえのことではないかと思うのでした。