日常日記

店長の日常

7時40分に起きる。体重62,1キロ、体脂肪率17,5パーセント。
今日は一日お休み。午前中にヨガのレッスンを2時間受けた。インストラクター養成講座の一部となっているレッスンだから、通常レッスンよりもハードだったけど、日曜日にもハードなレッスンを受け、月曜日には山に行き、昨日も通常レッスンを受けていたこともあってか、日曜日にはできなかったポーズができるようになっていた。先生に褒めてもらえてうれしかったけど、「ここまでレッスンを受けていて、内臓がこんなに固いのは、たぶん、食生活に問題があると思います」とも言われた。「○○さんの食生活を洗いざらしたいです」と言われ、「昨日は、ヨガのあと、二郎系のラーメン『豚山』を食べました」と言ったら、「ラーメンはあんまりよくないですね」ということだった。たぶん、先生はラーメン二郎のことなんて知らないんだろうなって思った。あれは、健康的な食生活からは対極にあるようなラーメンで、ただのラーメンとは違う代物だ。でも、時々、突然、食べたくなったりする。今月に入ってからは、本家の二郎を1回、豚山を2回食べている。健康的な食生活を送っていると、なぜかそれを壊したくなる傾向がぼくにはあるのかもしれない。でも、そういえば、ここ4,5日はお酒を飲んでいない。特に我慢しているわけではなく、なぜか飲む気がしなくなってしまった。次に飲むのは、また4年後でもよいかな。とりあえず、ヨガから帰ってきてから、無農薬、有機栽培の玄米をネットで注文してみた。
お昼は助六寿司でお寿司を食べ、そのあと映画「アリスとテレスのまぼろし工場」を観に、ブルク13に行った。久しぶりの映画だった。タイトルに「アリス」と「テレス」とあるから、その二人が主人公なのだろうと思ったら、アリスもテレスも出てこなかった。帰ってきてレビューをみたら、映画の中には、アリストテレスの言葉が何度かでているから、そこから取ったのだろうとあった。映画の内容としては、タイトルからもある程度推察できるように、自分たちが住んでいる世界は幻想であり、現実の世界は別にあるというのが舞台設定だった。数千年以上に渡って言われてきていることであり、アリストテレスの師匠である「プラトン」も、洞窟の比喩を使って、そのことを説明しているし、村上春樹の最新作「街と不確かな壁」も、それが舞台設定となっている。ぼくも、この世界は幻想(ホログラム)なのではないかと考えていて、そのことについて「旧日常日記」の「この世界の秘密」というカテゴリーで書いていた時期もあった。今でも時々書く。紫式部も「源氏物語」で言いたかったことは、世界は幻想であるということだったのかもしれないと思ったりする。だから、源氏物語の「最終巻」のタイトルが、「夢の浮橋」となっているのではないだろうか。シェークスピアも「テンペスト」の中で、「われらは夢と同じ糸で織られているのだ。ささやかな一生は眠りによってその輪を閉じる」と書いている。仏教の唯識では、心がこの物理的世界を作り出しているとされ、これは現代の量子物理学にも通じる話である。「シュレディンガーの猫」で有名な理論物理学者「シュレディンガー」も、「わたしにすれば、すべては幻影なのである。もっともそれは、十分な法則性をもった興味深い幻影ではある」と言っている。この世界は実際には存在しない夢、幻であり、スティーダンの「aja」の歌詞も、そのことを表現しているのではないかとぼくは感じていて、「aja」は現実の安らぎの世界として表現されている(とぼくは思う)。
映画のあとは、モスバーガーで「月見フォカッチャ」セットを食べた。ドリンクは130円足して「抹茶シェイク」にした。やっぱり、モスバーガーは美味しいな。