日常日記

店長の日常

10時に起きる。体重57,1キロ、体脂肪率14,3パーセント。

昨晩は2本目のブログを書き終えたあと、マーク・トウェインの「人間とは何か?」の漫画版を読みはじめたところ、面白くて、一気に読み終えてしまった。感想としては、「歎異抄」のマーク・トウェイン版という印象を持ったけど、ただ、マーク・トウェインは、機械に過ぎない人間がどうすれば救われるかという点が曖昧のように思えた。あと、人間の行動の全てを人間の利己心(エゴ)の現れとするのも間違いのように思った。マーク・トウェインのこの本自体が、それが間違いであることを証明しているように思った。人間には一人一人、天分というものがあり、トウェインは、この本を書くことで、天分を果たしたのではないだろうかと思った。

妹尾武治さんによれば、人間に自由意志がないことは、現在では科学的エビデンスによって、ある程度証明されているということであるけれど、でも、同じことは、すでに2500年前に、お釈迦様が言っていることだったりする。お釈迦様は、この世界の特徴を3つの角度から述べた。1つ目は、世界は「無常」であり、常に変化してやまないものであるということ。2つ目は、世界は「無我」であり、「我」という中心的コントロールセンターは存在しないということ。ぼくは、この「無我」が「人間には自由意志などない」ということになるのではないかと思っている。そして、3つ目は、世界は「苦」であるということ。世界は無常であるから「苦」であり、無我であるから「苦」であるということが経典に書かれていたりする。そして、無常であり、無我である、人間の生は「苦」が宿命づけられており、その「苦」からいかにして脱却するかということが説かれている。真実というのは、2500年前には、すでに全部出ており、その後、新たに分かったことなど何もなく、ただ、その時代時代やその土地土地において、真実の説明の仕方が変わるだけというのが、ぼくの意見だったりする。このことは、以前、旧日常日記にも書いた。「紀元前500年

 

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昨日、20年来のお付き合いになるTさんにメールをし、「結婚論を書くにあたって、Tさんから聞いたエピソードをご紹介させていただきたいのですが、大丈夫ですか?」とお聞きしたところ、次のような返信で、ご快諾いただけた。

 

「ウムッ!

男の生き様を後世に残す事。

これは大切な事です。

思う存分書いてください。

楽しみにしています」

 

いつの頃からは忘れてしまったけれど、Tさんは、昔から、ぼくに、「マスター、結婚は修行ですよ。マスターも結婚して修行したほうがよいですよ」とよく言っていた。ぼくは、大抵、「ぼくなんかに結婚なんて無理ですよ」と答えていた。先月、数年ぶりに二人で飲んだときも、同じように、「マスター、結婚は修行ですよ。マスターも結婚しましょう」と言われた。そんなTさんは、たしか8年くらい前だったと思うけれど、3度目の結婚を果たした。つまり、Tさんはバツ2なのだ。でも、Tさん自身は、バツ1だと言ってきかない。最初の結婚はカウントしないと言い張る。でも、ぼくは最初の結婚も含めるべきだと思っているから、Tさんはバツ2だと考えている。どうして二人の間で意見が割れるのかというのは、Tさんのプライバシーにかかわることだから、ここには書けない。

Tさんの現在の奥さん(Kさん)のことは、ぼくもよく知っている。お二人が結婚する前に、奥さんとぼくの二人だけで飲んだことさえあるのだ。ぼくが、仕事が終わって、夜、外を歩いていると、偶然、一人で歩いているKさんとばったりとあったのだ。顔をみると、泣きはらした目をしている。「何かあったのですか?」と聞くと、Tさんと喧嘩をして、マンションから追い出されたということであった。ぼくは、穏やかなTさんの姿しか知らなかったから、その話を聞いて、Tさんでもそんなに感情的になることがあるのかと、とても驚いた。それで、ゆっくりと話を伺うために、近くのお寿司屋さんに入った。どんな話をしたのかは、よく覚えていないのだけど、その時には、Kさんは別れを決意していたようだった。でも、幸い別れることなく、仲直りをし、その後、子供を授かったことで、めでたくゴールインした。そして、Tさんは修行に励み、とても幸福な家庭を築いており、今現在も精進を怠らない熱心な修行者となっている。(Tさんについての話題はまだ続きます。というか、これから、本論に入るということになろうかと思います)