日常日記

店長の日常

本日2本目のブログ。妹尾武治さんの「僕という心理実験~うまくいかないのはあなたのせいじゃない~」という本がすごく面白いのだ。最近は、書きたいことが次から次へと出てきて、追いついていかない感じ。だから、思いついたときに、どんどん書いていこうと思う。「僕という心理実験」は、妹尾さんの前作「未来は決まっており、自由意志など存在しない」が面白すぎるから、妹尾さんの最新の考えが知りたくて、早速、kindleにダウンロードしたのである。「僕という心理実験」の中に、マークトゥエインが書いた「人間について」という本が紹介されていて、その内容に衝撃を受けた。

以下、岩波文庫の内容紹介より。

 

老人と青年の対話の形で書かれたマーク・トウェイン晩年の著作.人生に幻滅している老人は,青年に向かって,人間の自由意志を否定し,人間は完全に環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機械にすぎないことを論証する.人間社会の理想と,現実の利己心とを対比させつつペシミスティックな人間観で読者をひきつけてゆく。

 

マーク・トウェインといったら、誰もが知っている「トム・ソーヤの冒険」、「ハックルベリー・フィンの冒険」を書いた人である。そんなトゥエインが、こんな本を書いていたなんて知らなかった。ただ、この本に書いてあることは、あまりにも世間一般の常識とはかけ離れており、危険思想として攻撃対象になることを恐れたトゥエインは、この本を匿名で発表したということである。夏目漱石も「明暗」の中で、人間の自由意志に疑問を呈するようなことを書いていて、そのことについては、「3月28日」の日記に書いた。

 

また、「僕という心理実験」には、こんなことも書いてあった。

 

世界(ないしは脳)には正解が用意されていて、僕たちは、それを直感的に感じとることができる。

 

ぼくが読めもしないのに、次から次へと、本を買う理由も、じつはここにあったりする。ぼくの無意識は、何が正解なのか分かっていて、ぼくが知るべきことを教えてくれているような気がするからである。だからぼくは、本をパラパラめくりながら、ぼくの無意識が教えたがっていることを直観的に読み取ろうとしているのである。もちろん、ぼくには、本当にそれが正解なのかは分からないけれど、正しく受け取れたときには、喜びの感情が湧き上がってくることで、無意識が「それが正解だよ」と教えてくれるような気がしていて、その正解とおぼしきことを、このブログに書いていたりする。

そして、兼好の「徒然草」もそのようにして書かれたような気がしていて、誰もが一度は暗唱させられたことがあると思われる「序段」が、それを物語っているような気がしている。

 

徒然なるままに、日暮し、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆく由無(よしな)し事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

 

島内裕子さんによる、この序段の現代語訳が最高なのだ。ちょっと長いけど、引用してみたいと思う。

 

さしあたってしなければならないこともないという徒然な状態が、このところずっと続いている。こんな時に一番よいのは、心に浮かんでは消え、消えては浮かぶ想念を書き留めてみることであって、そうしてみて初めて、みずからの心の奥にわだかまっていた思いが浮上して来る。まるで一つ一つの言葉の尻尾に小さな釣り針がついているようで、次々と言葉が連なって出てくる。それは和歌という31文字からなる明確な輪郭を持つ形ではなく、どこまでも連なり、揺らめくもの・・・。そのことが我ながら不思議で、思わぬ感興におのずと筆も進んでゆく。自由に想念を遊泳させながら、それらに言葉という衣装をまとわせてこそ、自分の心の実体と向き合うことができるのではなかろうか。

 

こんな現代語訳は、女子中高生時代から徒然草に惹かれ、何十年と読み続けてきた島内裕子さん以外、できないのではないだろうか。