日常日記

店長の日常

9時に起きる。起きたけど、また寝て、午後1時過ぎまで横になっていた。眠りに落ちたり、目覚めたりして、目覚めているときは、ぼんやり、いろいろなことを考えた。

昨日は、Y先生のヨガを2レッスン受けた。てらさんも一緒だった。ヨガが終わってから、また、二人でデニーズに行った。2週連続だ。そして、2時間に渡って、哲学、宗教、文学などについて語り合った。てらさんに、「こういう話ができる人はあまりいないので、うれしいです」と言っていただき、とてもうれしかった。でも、それは、ぼくも同じだった。徒然草の第12段が思い起こされた。

 

同じ心の人としみじみと話をして、興味深いことも、世の中がはかないことも、裏表なく話し合ったらどんなに心が慰められるかと思うのに、そのような人は自分の周りにはいない・・・

 

哲学的なことに限らず、同じ心の人と裏表なく話をするのは、本当に楽しく、心が慰められることだと思う。ぼくは、エイジャの中で、そういうことを、しゅっちゅうしている。これはとんでもなく、稀有で恵まれていることに違いない。ありがたい。ありがたすぎる。ぼくは欲しいものすべてをすでに手に入れているような気がする。ただ、それを失うことの恐れは、21年間、ずっと抱えている。

 

起きてからは、ジョギングにでかけ、帰りは、有隣堂で「硝子戸の中」を買った。2Fの文庫本コーナーで買ったのだけど、1Fのレジに向かう途中の文芸本コーナーで「哲学する漱石」という本の背表紙が目に飛び込んできて、「ん?」となった。早速、手に取ってみたところ、帯には、「清沢満之・西田幾多郎・和辻哲郎・三木清らとの内的理路をえぐり出す」と書いてあり、「みんな歎異抄好きの人たちではないか」と思った。清沢満之は、明治時代に歎異抄を広めるきっかけになった人みたいだし、西田幾多郎は、空襲の火災の際、「一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」と述べたということである。「哲学する漱石」をぺらぺらめくりながら、一瞬、「買おうかな」と思ったのだけど、500ページを超える厚さの本で、ほかにもまだたくさん読めてない本があるから、思いとどまった。お店に帰ってきてから、図書館のサイトで検索したら、あった。すぐに予約した。誰も予約をしていなかった。4620円もする本だから、「ラッキー」と思ったけれど、著者の情熱がこもったこういった本には、お金をかけてあげたいという思いもある。繰り返し何度も読みたくなる本だったら、買おうかな。著者の情報をみたら、1978年生まれで、ぼくよりも5歳年下だった。最近では、学術的な本の著者の年齢が自分よりも下であることが多くなってきた。それだけ年を取ったということなんだろうな。神奈川県横浜市出身ということで、ご縁を感じた。