日常日記

店長の日常

9時に起きる。体重56,3キロ、体脂肪率14,8パーセント。

今日は10時オープンのあさわけ。オープンから順調にご来店いただいた。ありがたし。ある女性会員さんの方から、「今日で5回目になりますので、帰りにパスワード教えてください」と言っていただけた。その女性会員さんの方は、初めてエイジャにいらしていただいたときに、「マスター、○○読みましたよ」と、これまでブログで何度か話題にしてきたけれど、最近は話題にしていなかったある本について、言及してくださり、ぼくは「ん?」となった。(初めてなのに、なんで知っているのだろう?)と思った。(もしかしたら、以前、別のパートナーさんといらしゃってたのかな?)と思いながら、「その本のこと、なんで知っているんですか?」とお聞きすると、「○○に書いてあって、興味を持って読んでみたんです。わたし本が好きなんです」と言われた。エイジャ初めての方が、ぼくが好きな本を読んで、ご来店いただけるというのは、初めての体験だったから、とてもうれしかった。そんな会員さんに、半年以上かけて、5回ご来店いただけたわけだから、よろこびもひとしおだった。ただ、最近は、プレミアムのほうの更新は滞っているから、申し訳ない気分にもなった。最近は、この日常日記を書くだけでお腹いっぱいになってしまう。「ちょっとこれは、日常日記には書きづらいなあ」と、以前だったら感じていたことも、書いてもどうやら、そんなに問題はないことが分かったから、プレミアムの存在意義がぼくの中で少々、薄れてしまっている。お客さまからいただいた力作コラムを楽しんでいただけたらと思う。

 

しかし、自分の考えを書くという行為に伴う負の感情に襲われることは、もしかしたら、誰にとっても避けがたいものなのだろうか。多くの人がその感情に襲われているように感じる。

 

自分の書くものにはなんの意味もない。激しく憎まれている。そのころ、そう思い詰めていた。人生で初めての経験だった。とうとう夢にまでみるまでになった。あまりに同じ夢をみるので、手帳に記録をつけるようになった。日付の近くに「NM」と書く。「Nightmare(悪夢)」。半年以上はNMマークが続いた。「100冊で耕す」(近藤康太郎)。

 

しばらく、そこでたたずんでいるうちに、今度は今まで書いてきたことがまったく無意味のように思われ出した。なぜあんなものを書いたのだろうという矛盾がわたしを嘲弄(ちょうろう)しはじめた。「硝子戸の中」(夏目漱石)

 

 

プロの作家や文豪漱石でさえ、そのような感情に襲われることに驚く。でも、村上春樹にはそういうことは、まったくないみたいなんだよな。その違いはなんなのだろか。