日常日記

店長の日常

11時40分に起きる。体重57,6キロ、体脂肪率14,7パーセント。
なんだか心身の調子があまりよくない。そういうときは、つい、ぎりぎりまで寝床で過ごしてしまう。いま、「我が輩は猫である」を聴いたり、読んだりしている。ただ聴いているだけだと、途中、途中、よく分からないところがあるから、そのときはKindleで読む。すると、今度は、読んで進んでいく。そして、読むのに疲れたら、またオーディオブックに戻る。そんな感じで、同じ箇所を、何度も聴いたり、読んだりしている。それでも面白く読める。漱石もずっと、心身の不調に悩まされていたようである。それで、体に良いと言われるものを、あれこれなんでも試してみるのだけど、大抵、どれもあまり効き目がない。それですぐにやめてしまう。まるで自分をみているようで、大笑いしてしまった。その部分を、とても長いけれど、引用してみる。

「せんだって ○ ○は朝飯を廃すると胃がよくなると言うたから二、三日朝飯をやめてみたが腹がぐうぐう鳴るばかりで効能はない。 △ △はぜひ香の物を断てと忠告した。彼の説によるとすべて胃病の原因はつけ物にある。つけ物さえ断てば胃病の源をからすわけだから本復は疑いなしという論法であった。それから一週間ばかり香の物に箸を触れなかったがべつだんの験も見えなかったから近ごろはまた食い出した。 × ×に聞くとそれは按腹揉療治(あんぷくもみりょうじ)に限る。ただし普通のではゆかぬ。皆川流という古流なもみ方で一、二度やらせればたいていの胃病は根治できる。安井息軒もたいへんこの按摩術を愛していた。坂本竜馬のような豪傑でも時々は治療をうけたというから、さっそく上根岸まで出かけてもましてみた。ところが骨をもまなければなおらぬとか、臓腑の位置を一度顚倒しなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷なもみ方をやる。あとでからだが綿のようになって昏睡病にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。 A君はぜひ固体形を食うなと言う。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮らしてみたが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。 B氏は横膈膜で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になるわけだからためしにやってごらんという。これも多少やったがなんとなく腹中が不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五、六分たつと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読むことも文章を書くこともできぬ。美学者の迷亭がこのていを見て、産気のついた男じゃあるまいしよすがいいとひやかしたからこのごろはよしてしまった。 C先生は蕎麦を食ったらよかろうと言うから、さっそくかけともりをかわるがわる食ったが、これは腹が下るばかりでなんらの効能もなかった。余は年来の胃弱をなおすためにできうる限りの方法を講じてみたがすべてだめである。ただゆうべ寒月と傾けた三杯の正宗はたしかにききめがある。これからは毎晩二、三杯ずつ飲むことにしよう。」

「ただゆうべ寒月と傾けた三杯の正宗はたしかにききめがある。これからは毎晩二、三杯ずつ飲むことにしよう。」

この言葉に対して、猫が、

「これも決して長くつづくことはあるまい。主人の心は吾輩の目玉のように間断なく変化している。何をやっても長もちしない男である」

と主人を評する。

まったく、自分と一緒だと思い、漱石により一層の親近感を覚えた。