日常日記

店長の日常

5時に起きる。トイレに行き、体重を計る。55,6キロ。最近は、55キロ台が定着してきた。昨日は、あるカップルさんから、「マスター、ペラペラになりましたね~」と言われた。一昨日は、近所のバー「セックル」のマスターから、「店長、そこまで痩せるのはちょっとヤバい」と言われてしまった。やはり、自分はヤバい領域に入ってしまったのだろうか。でも、いまの1食半の生活は、なんだかとても心地よいのだ。1日の中で、食べることについて考える時間が少なくなったことで、ゆとりができた感じがする。コロナで休業していたとき、自分にとって1日2食が良いのか、3食が良いのか実験するため、3食自炊をしていた時期があったのだけど、そのときは、一日中、「食べる」ための行動をしているような気持ちにさせられていた。買い物に行き、作り、食べ、片付ける。このサイクルを、1日3回やるのは、大変だった。育ててくれた母親に対して感謝の念が沸いた。結果として、自分には、3食食べることは必要ないということが分かった。思えば、自分は小さい頃から、あまり食べなかった。小学生のころ、母親に、「あんたは、ほんと、まずそうにご飯を食べるね~」としみじみと言われたことがある。決して、まずいと思いながら食べていたわけではないけど、美味しいともそれほど思っていなかった(お菓子は大好きだったけど)。ドラマなんかでは、「ご飯できたわよ~」というお母さんの掛け声と共に、子供が2階から駆け下りてくる光景がよく描かれるけど、「そんなにうれしいものなのかな」と思っていた。でも、それほど美味しくない食事を出してくれた母親には、すごく感謝している。家の食事は、基本的に、ご飯と味噌汁といった、いわゆる粗食だった。外食することは、滅多になかった。小学生のころ、担任だった女性の先生が、何かの授業中に、「朝ごはんが、ごはんだった人、手をあげて~」、「パンだった人、手をあげて~」と聞いてきて、その割合が半分くらいだったことに、自分は驚いた。子供は、自分が体験している世界がすべてだと思いがちだから、「え?なにそれ?朝ごはんは、みんなごはんじゃなかったの?」と思った。だから今でも、朝ごはんにパンを食べることに対して、ちょっとした違和感がある。母親は、いま、78歳だけど、老人ホームで週三回働いている。タオルやバスタオルを畳むことが主要業務であるという点、母と息子が同じ仕事に従事していることが面白いけど、母親は、どうやら立ちながら仕事しているようで、「今日は7時間くらい、ほとんど立ちっぱなしで、疲れたわよ~」などと言う。でも、そのおかげで体幹が自然と鍛えられているのか、周囲からは、「姿勢がよい」と褒められることも多いらしい。これが、もしも、朝ごはんがパンだったら、そんなことできなかったような気がする。