日常日記

店長の日常

こころ

昨日は、心の探究なんという大層なことを書いてしまいましたが、心の探究といえば、夏目漱石、夏目漱石といえば、「こころ」ではないかと思い、今日は漱石の「こころ」について、書いてみようかと思いました。夏目漱石の作品を1作全部読み通したという人なんて、じつはすごく少数派の部類に入るのではないかと思いますが、でも、夏目漱石の「こころ」について、タイトルも知らないなんていう人は、ほぼほぼ皆無ではないかと思われます。特に、こんなブログを読んでいる方であれば(笑)。わたしが、初めて、漱石の「こころ」について知ったのは(タイトルだけでも)、いつの頃かは定かではありませんが、「こころ」を初めて手に取り、読んだのは高校1年生の時だったことはよく覚えております。「こころ」は中高生の読書感想文の定番で、わたしが通っていた高校でも、課題として出されました。当時、わたしは、近所のデパートでアルバイトをしており、休憩時間、そのデパートの社員食堂で「こころ」を読んでいたのであります。読む前は、「むちゃくちゃ、退屈そうな本だな」と思っていたのですが、読み進めているうちに、書いている内容に興味が沸いた感覚を今でも覚えております。ただ、それが、どのシーンだったのかはまったく覚えておりません。それに、興味を覚えたにも関わらず、最後まで読んでおらず、それどころか、100ページも読まないうちに途中で読むのをやめてしまいました。わたしの周りでも、「こころ」を最後まで読んだとか、面白かったとか言っていた友人はいなかったように記憶していますし、数百人いた同級生の何人が最後まで読んだのだろうかとちょっと興味があります。わたしの見立ててでは、1割にも満たなかったのではないかと思うのですが、真相は闇の中です。でも、去年、エイジャデビューを果たしてくださったカップルさんの男性の方が、中学か高校、どちらかは失念してしまいましたが、「最後まで読んだ」と教えてくれたことがありました。「おお!すごい!」と思い、中高生が「こころ」を読んで、どんな感想を持つのか興味が沸いたので、「どう感じましたか?」とお聞きしたところ、なんとトラウマ級のショックを受け、以来、30年、漱石作品に触れることはなかったとのことでした。でも、30年の月日を経、カップル喫茶にご興味をお持ちになり、エイジャをみつけてくれて、わたしのブログも読んでくれて、漱石に興味をもってくれて、「この年でまた、こころを読んだらどう思うのだろう」と思われ、読んでみたところ、「とても感動した」と言ってくださり、わたしはとてもうれしくなったのでした。