日常日記

店長の日常

クリスマスイヴとカップル喫茶

目が覚めたら5時だった。そのまま起きることにした。白湯を飲み、パソコンを立ち上げ、ネットサーフィン。そっか。今日はクリスマスイヴだ。エイジャをオープンしてから、これで22回目のクリスマスイヴ。クリスマスイヴとカップル喫茶は、相性が悪い。カップル喫茶全盛期のころでも暇だった。特に夜は壊滅的だった。最初のころは、それでも、営業していた。親しいカップルさんが数組集まってくれて、一緒にケーキを食べたこともあった。参加してくれた、あるカップルさんの彼女さんはとても明るく、ノリがよい彼女さんだった。クリスマスイヴの夜、その彼女さんは大部屋でお尻を叩かれていた。この時期になると、いつもその時の光景を思い出す。

ふと、「クリスマスはいつから、恋人たちが過ごす日になったのだろう?」という疑問が頭に浮かび、調べてみたところ、面白い記事をみつけた。

 

ddnavi.com

 

キリスト教徒にとっての聖なる夜をお祭り騒ぎにしてしまったのは、明治の頃のようである。真面目な日本人信者からは、「クリスマスは静かに迎えなさい」という批判もあったようだけど、お祭りに興じている人間にそんな言葉が届くわけない。第二次世界大戦中の時期を除いて、日本人にとってのクリスマスは、100年以上に渡り、お祭り騒ぎをする日となった。でも、「聖なる夜」が、いつから「性なる夜」に変わったのかというと、1980年代の頃のようである。そして、その決定打となったのが、「アンアン」だったというのが面白い。アンアンによって、クリスマスはアンアンして過ごすことが理想となる日に決定された。と同時に、ぼくのような非モテは、寂しさを募らせる日となった。

クリスマスには、アンアンする以外に、また別の側面がある。プレゼントである。贈り物である。これは、サンタクロースがその由来であろう。でも、サンタクロースとは何者なのだろうか?イエス・キリストの降誕を祝う日に、なぜ、赤い服を来た髭もじゃのおっさんが出てくるのか?また調べてみた。

kinarino.jp

記事によると、「サンタクロース」のモデルとなったのは、4世紀の「聖ニコラス」という人なのだそう。「聖」は英語で「セイント」だから、「セイント・ニコラス」⇒「サンタ・クロース」ということなのだろう。「聖ニコラス」は、聖者である。だから、聖ニコラスと呼ばれる。聖者は慈悲深いことを常とする。数々の伝説の持ち主だそうだけど、そのうち、最も有名なのが、没落した貴族の3人の娘を救った話とのこと。どんな話かというと、一番上のお姉ちゃんが、妹二人の結婚資金をねん出するために、自らを身売りすることにしたのだそう。その話を聞いた聖ニコラスが、何もせず、ただ手をこまねいているわけがない。かといって、娘たちの家にお金を持って出向いて、「お困りのようですから、どうかお使いください」などと言って、あからさまな善行をほどこすような人でもない。では、どうしたか。聖ニコラスは、フードで自分の顔を隠し、こっそり、娘の靴の中に金貨を入れたのだそうである。けれども、3度目の夜に、「お金を入れてくれるのは誰だろう?」といぶかしく思い、待ち構えていた、3人娘の父親に捕まってしまった。ここで、「どうして、1回ではなく、3回と小分けにしたのだろう?」と素朴な疑問を抱かなくはないが、そこには、何か事情があったのだろう。とにかく、聖ニコラスの善行は、世の中に広く知られることになった。そして、時代と共に、慈悲深い善行は、大っぴらにおねだりをしても許される風習へと変わっていった。

話しは、またエイジャのクリスマスイヴに戻る。クリスマスイヴの日に、お尻を叩かれた彼女さんは、その後、結婚相手をみつけ、彼氏さんと別れた。どうして、彼女さんが結婚したことをぼくが知ったかというと、彼氏さんが教えてくれたからである。彼氏さんが、新しいパートナーさんをエイジャに連れてきてくれたとき、こっそり、「彼女さんとは別れてしまったのですか?」と聞いたら、「彼女、結婚したんですよ」と教えてくれたのである。

ぼくは思う。もしも、このエピソードが世の中に広まったら、クリスマスイヴにお尻を叩かれると結婚できるということが信じられ、クリスマスイヴの夜は、そこかしこで、結婚を望む未婚の女性がお尻を叩かれる事態になったのではないかと。風習というものは、そんな風に、行き当たりばったりの、偶然的な要素で決まるものなのではないだろうか?