日常日記

店長の日常

競争原理が引き起こす悲劇:様々な問題の真実

本日3本目のブログ。

昨晩、深夜、2回目の虞美人草を聴き終わった。すごくよかった。1回目は、最後の2時間くらい寝てしまい、結末は分からずじまいだったけど、今回は、ぐんぐんと話に引き込まれていくうちに、終わった。虞美人草は、漱石が、東京帝国大学講師という安定した地位を捨て、朝日新聞に入社し、職業作家になる道を選んだあとの第一作目ということである。今でこそ、新聞記者も作家も社会的な評価は高いけれど、当時は、ある意味、「出家遁世」して「世捨て人」になるくらいのことだったらしい。一方、大学教授の地位は、大変な権威があったようだ。でも、虞美人草は、大変な人気を博したようで、解説にはこんなことが書いてあった。

 

漱石が大学を辞めて新聞に入ったということは、当時の一大センセーションであった。その漱石が今度いよいよ「虞美人草」を書くというので、三越では虞美人草浴衣(ゆかた)を売り出す、玉宝堂では虞美人草指輪(ゆびわ)を売り出す、駅の新聞の売り子は「漱石の虞美人草」と言って朝日新聞を売って歩くという風に、世間では大騒ぎをした。

 

すごい熱狂の仕方である。

 

虞美人草は、漱石が初めて悲劇を書いた小説ということだけど、悲劇について、こんなことが書いてある。

 

道義の観念が極度に衰えて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、悲劇は突然として起る。

 

道義とは、「人のふみ行うべき道徳上の筋道」とのことである。たぶん、「道理」と言い換えてもよさそう。道徳とか道理とかいうと、堅苦しい、説教臭い感じがするけれど、ぼくはこれは、「物理法則」みたいなものだと思っていて、そこから外れると、様々な問題が起こるようになるのではないかと考えている。ホストクラブの問題も、道理に適っていない方法によって、利益をあげようとしているから、たくさんの問題が起こるのだと思う。これは、水商売に限らず、コンビニや回転ずしなどのチェーン店、学校の部活動などで生じる問題、ビッグモーターや、最近では、ダイハツなどの不祥事といった問題も、道理に適っていない方法により生じているように思う。そして、道理に適っていない方法とは、つまりは「競争原理」のことであり、競争原理によって、組織やグループを動かそうとすると、様々な問題が生じ、時には悲劇的な事件が起こってしまうのだと思う。