日常日記

店長の日常

風邪を引いたようで、昨日は一日中、ずっと横になっていた。ある女性会員さんから連絡がきて、風邪を引いた旨を伝えたら、葛根湯がよいですよとのアドバイスをいただき、すぐにドンキに葛根湯を買いに行った。ついでにパブロンゴールドも買ったら、レジの女性に「葛根湯もパブロンゴールドも基本的な成分は一緒なので、同時に飲まないように」と言われる。「それは知らなかった。だったら、2つ買う必要ないな」と思ったのだけど、でも棚に戻すのも面倒だし、2つあっても困らないだろうと思い、結局2つ共買った。夕方と深夜に葛根湯を飲み、今日の早朝パブロンゴールドを飲んだら、営業前には、ほぼほぼよくなり、お客さまの顔をみたら、すっかり元気になった。久しぶりのお客さまからは、「相変わらず、元気そうで何よりです」とおっしゃっていただけた。

最近、「健康禍」という本を知ったことで(まだ読んでいない)、「健康」について、改めて、いろいろと考えることとなった。人が「健康」というものを意識するようになると、それは「不健康」の始まりのような気がする。なぜかというと、本当に健康な人というのは、「健康」というものを意識しないと思うからだ。「健康」を意識しないから、健康になろうと努力することもない。健康になろうとする努力が、不健康な状態を維持しているということもあるのではないだろうか。世の中には健康に関する情報が溢れかえっているけど、それが人の中に迷いや葛藤を生み、それによって新たな病気が作りだされているような気もしないではない。とはいえ、この世に生きるほとんどの人は、遅かれ早かれ、いずれ、「健康」というものを意識するようになり、「健康」に絡み取られ、「健康」が人生の中心ごとになっていくのではないだろうか。そして、ある者は、白湯を飲んだり、ジョギングをやったり、ヨガをやったり、玄米やぬか漬けを食べたりする。

最近、こんな記事を読んだ。

karapaia.com

現在、推定年齢が90歳のホームレスの男性が、60年以上風呂に入っていないにも関わらず、良好な健康状態を維持しているようで、研究者たちを当惑させているとのことだ。この男性は体を洗うと病気になると信じ込み、以来、60年以上もの間、風呂にも入らず、体も洗ったことがないという。でも、健康らしい。健康ってなんだろう?と思わざるを得ないのだけど、とはいえ、これからもぼくは、それなりに食事に気をつけ、適度な運動もしていきたいと思う。これは、健康になるためではなく、そのほうがそうしないよりも、日々を心地よく過ごせることが多いからである。本音を言えば、健康になれるものだったら健康になりたいのだけど、でも、運動や食事では、健康にはなれないような気がしてきたのである。なぜなら、生老病死の四苦からは人間は逃れられないからである。「アンダイング」(アン・ボイヤー著)の中に、「ジョン・ダン(1572~1631)」の詩が紹介されているのだけど、これを読むと、健康とは砂の城のように脆いものなんだなという気がする。

 

「この瞬間に私は健康である。しかし、この瞬間に私は病気になる」

 

「我々は健康に務める。食べ物、飲み物、空気、運動などに細心の注意を払う。建築に使われる石を一つ一つ磨くのであるから、我々の健康は永続的な、堂々たる建物となる。ところが、瞬間的に大砲がすべてを打ち、覆し、破壊する」