日常日記

店長の日常

起き、スマホの電源をつけると、Lineを交換している会員さんから、Lineが来ていたので、返信。最近は、スマホ依存症の治療に取り組んでおり、仕事中や夜は、iPhone15の電源をなるべく落とすようにしている。その代わり、4年間使用していたiPhone11を使うことが多い。iPhone11は、Lineやメール、ニュース、Xなどのアプリを削除している。そして、機内モードに設定して、主にオーディブルを聴いたり、kindleを読んだりし、ブログの記事の更新や修正、予約カレンダーを確認したいときには、Wi-Fiに接続するという具合。iPhone15を買ってよかったのは、iPhone15の機能そのものよりも、こういう使い方ができるようになったことだった。そういうわけで、Lineやメールの返信が遅くなってしまっていて、申し訳ない限りなのである。この場を借りて、謝罪させていただく次第であります。

先日、iPhone15とパソコンの電源を落とし、本を読んでいたら、さみしさが薄まり、不思議な幸福感に包まれた。これは、そのときに読んでいた本(「アンダイング」~病を生きる女たちと生きのびられなかった女たちに捧ぐ抵抗の詩学~)の内容がよかったということもあると思うけど、ネットワークに接続していない状況だったことも大いに関係しているような気がした。ぼくの場合、ネットワークに接続している状態だと、つい、「誰かから連絡来ないかな?」と期待してしまうところがある。この期待がさみしさを生むところもあるのかもしれないと思った。

営業前に歯医者に行き、帰り道にある、個人書店の「象の旅」に寄った。お取り寄せをお願いしていた「神々の沈黙」の連絡がなかなか来ないから、もしかしたら、店主さんはぼくの連絡先を紛失してしまったのか、なにかあったのかもしれないと思ったのだけど、聞くと、「ちょうど今日、届く予定でした」ということだった。でも、せっかく来たから、店内を歩きながら本をみてると、土井善晴と中島岳志の対談本「料理と利他」があったから、それを買った。中島岳志は、親鸞の研究家でもあるらしい。パラパラとめくって読んでいるだけでも、とても興味深いことが書いてある。いまぼくが読んでいる、土井善晴の「味付けはせんでええんです」(この本も象の旅で買った)の中には、天才数学者の「岡 潔(おか きよし)」のことが何度も言及されているのだけど、ぼくが夏目漱石に興味をもつきっかけの一つは、岡潔であった。岡潔のエッセイ「春宵十話(しゅんじょうじゅうわ)」の中で、夏目漱石の作品について、次のようなことが書かれているのをを読んで、ちょっとした興味がわいたのだった。

 

漱石の作品は縦一列に並んでいる。 だから 正しく いえば「吾輩は猫である」 に始まって「明暗」の途中に終る、一筋の創作が全体として一つの創作である。 漱石は一作をすませることによって それだけ境地が深まり、 その深まった境地によって さらに書くといったことを終りまで続けた人である。 人の生命が一筋にしか流れないものである以上、 境地を深めていけば 縦一列になるほかないわけで、 私にはこれが われわれ 東洋人にはやりやすい方法だと思う。