日常日記

店長の日常

本日2本目のブログ。

11時30分に起きる。

昨晩はヨガがなかったこともあって、ビールをよく飲んだ。全部で3リットルは飲んだだろうか。この辺はコンビニが近くにたくさんあるから、いつでもお酒が簡単に買える。このままでは、アル中になってしまうかもしれない。お酒を提供しないノンアル喫茶の店長がアル中だなんて、笑うに笑えないよな。

今日のエイジャは1組のカップルさんの貸し切り。大部屋で3人でお話をした。彼女さんに、「店長は、利益よりも何よりも、どうすればこの場所をより楽しい場所にできるのかを一番大切にしていることが伝わってきます」と言ってもらえて、とても勇気づけられる思いがした。彼氏さんは、女性の気持ちを一番に考えている方で、エイジャのコンセプトにまさにぴったりのお二人である。エイジャを長年やってきて思うのは、女性の気持ちを優先することが、調和の取れた空間には必要だということである。そして、エイジャの営業においては、常に「和」というものを意識してきたのだけど、島内景二さんの「源氏物語ものがたり」にも、次のようなことが書いてあって、うれしくなった。

 

日本国は、「和国」とも言うが、この「和」は、やわらかいという意味であり、女性原理を意味する。人と人とを対立させ、戦わせるのではなく、あたたかく包み込み、結び合わせる。それこそが、「和歌」の道だった。和歌の美徳を体現した人こそ、政治家として人の上に立ってほしい。

 

「源氏物語ものがたり」には、男性主体になるとどのようなことが起こるのかも書いてある。

 

男性武将たちの飽くなき野望が火花を散らし合い、収拾のつかない戦国時代へと突入していった。マッチョな英雄豪傑が栄枯盛衰を繰り広げる「男たちの時代」だったのだ。

 

「旧日常日記」では、何度か、聖徳太子の17条の憲法の第一条を引用してきたのだけど、それはあながち間違っていなかったんだなと思う。

 

一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ。

 

ぼくは、エイジャという空間を、源氏物語の理想、聖徳太子の理想に近づけたいのかもしれない。ぼく自身は、協調性というものをほとんど持ち合わせていない、自己中心的な人間なのだけど。

とりあえず、和歌でも詠むか。