今日は、12年前に書いた「旧日常日記」から。
この記事にもありますが、
たまに、「なんで、aja(エイジャ)っていう名前なんですか?」と聞かれることがあります。詳しくは、この記事を読んでいただくことにして(笑)、12年前のわたしは、記事の中に、こんなことを書きました。
「aja」のアルバムの中に、「aja」という曲があるのですが、
この曲のイントロ部分を聴いた瞬間に、
あたかも異世界にワープしてしまったかのような、
心地良い幻想的な気分に包まれるので、
それが、カップル喫茶のイメージにぴったりと思ったんですよね。
どうしてこの部分を抜き取ったかといいますと、
昨日、無常さんからご投稿いただいたコラムの最後の一文とシンクロしており、
「お」となったからです。
踏み入れたその先で
私たち夫婦を待ち受けるのは、
あまりにも現実離れした夢幻の舞台だった。
このような印象を持ってくれて、とてもうれしく思いました。
ajaの曲は、8分あるのですが、
この8分間の流れは、わたしが理想とするエイジャの店内での雰囲気の流れとぴったりと一致しているように感じてます。
静と動が見事に一致しているというか、わびさびがあるというか、
わたしの貧弱な語彙力ではajaの曲を説明することはできないのですが、
カール・バルトという、20世紀で最も影響力があったと言われるキリスト教神学者がいるのですが、モーツァルトの音楽に対して、次のような批評をしており、これはまさに、ajaにもぴったりと当てはまるのではないかとわたしは思いました。
まったく並外れた仕方で自由である。それはあらゆる過剰から自由であり、あらゆる根本的破壊と対立から自由である。(略)。モーツァルトはすべてのことについて、ある不思議な中心から理解しつつ、音楽をしている。だから彼は、右にも左にも、上にも下にも限度があるのを知り、それを守る。
HPの上のバーにある「Couple’s Cafe aja "エイジャ”」書いてある下に「カップルたちの自由空間」と書いてあり、わたしはこれを特に深い考えもなく、何気なく書いたのですが、エイジャという空間は、男女の関係から生じる、あらゆる過剰から自由で、あらゆる根本的破壊と対立から自由な空間にしていけたらよいなと思いました。