今日は、このニュースを取り上げてみようと思います。
この記事によりますと、フランスでは不倫はある意味当たり前で、悪徳とはみなされないとのこと。どうやら、フランスでは、恋人がいたとしても、別の人を好きになることは自然なことだということが国民一般に浸透しているようです。
これを読んで、フランス人の恋愛観は、アマゾンに住む、世界一幸福な民族とされる「ピダハン」族と似ていると思いました。
ピダハンについては、「日常日記プレミアム」で何度か取り上げていたりします。以下は、去年の8月19日に書いた記事になります。
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「世界一幸せな民族・その3」
ここからは、エイジャにも関連がある話になります。
というのも、
ピダハンは一夫一妻制には、縛られていないらしいからです。
一応は、恋人関係のようなものが形成されるのですが、でも、ほかに関係を持ちたい相手がいて、その相手も同意していれば、自由に関係を持つことが許されている感じです。
とはいえ、好きな相手に去られてしまった場合、ピダハンも悲しむのだそうです。それで、相手のことを一日中、探し回ったりすることもあるようですが、相手が自分の元に戻る意志がないことが分かると、すぐに諦めたりします。切り替えが早いです。というより、相手の意志を尊重するということがピダハンにとっては当たり前のことで、相手がやりたいと思っていることを止めたり、相手がやりたくないことを強制したりということが、ピダハンには、ほとんどない感じです。
このことに関して、とても驚くべきエピソードがあります。
「ピダハン」の著者である、ダニエルさんが、ピダハンの女性と話をしているとき、その女性の赤ん坊が、包丁を手に持って、ブンブン振り回していた遊んでいたのだそう。普通だったら、赤ん坊から包丁を取り上げると思いますが、ピダハンの女性はしなかったようです。赤ん坊がしたいようにさせていました。これだけでも、驚きですが、さらに、驚くのは、その赤ん坊が、ポトリと包丁を落としたときのことです。ダニエルさんは、ハラハラしながら、赤ん坊が包丁で遊んでいる様子を見ていたので、これでようやく一安心と思ったそうなのですが、なんと、その母親は、落ちた包丁を、ダニエルさんと会話しながら、そのまま後ろ手で、赤ん坊に手渡したとのこと!
そこで、ダニエルさんは思いました。
「ピダハン族の人たちは、われわれが思うような形で赤ん坊をみていないと。一人の自立した人間とみているのだ」と。
そういうことから、ピダハンは、赤ん坊に対して、赤ちゃん言葉で話しかけるということもないのだとか。
こういったことに関して、否定的な思いを抱く方もいらっしゃるかもしれませんが、でも、昨今、大きな話題となっている毒親問題や頻発する幼児虐待問題を考えると、わたしたち文明人は、ピダハン族から学ぶべきところもあるような気がするのであります。
さすがに、赤ん坊が包丁で遊んでいたら、取り上げたほうがよいとは思うのですが(笑)。