日常日記

店長の日常

10時10分に起きる。体重59,4キロ、体脂肪率17,1パーセント。
久しぶりに体重が59キロ台を記録した。昨晩の卵ラーメン+半チャーハンにサムライマック、あと、サウナに入ったことで、寝る前に猛烈に喉が渇き、麦茶をがぶのみしたことが影響していると思われる。
10時30分からランニングにでかける。5キロほど走った。走ることはいつだって気持ちがよい。「Born to run」の初めには、次のようなことが書いてある。

ストレスの緩和や官能的な喜びという点で、ランニングはセックスより先に経験するものだ。装置と欲求は工場出荷時にインストールされている。あとは欲求のままに装置を動かし、それにうまく乗っていくだけでよい。

「Born to run」を読んで、2015年から走り始め、8年が経つけど、走っているときに感じる気持ちよさはずっと変わらない。特に増えもしなければ、減りもしない。走ることは本来、喜びを伴うことなのに、どうして走ることは苦しみを伴うものだと多くの人が考えるようになったのかといえば、やはり、それは学校教育にあるように思う。学校教育は、走ることに元々備わっている気持ちよさを犠牲にし、誰かと競い合ったり、自分を向上させるための手段としてしまった。もし、誰かに勝つためや、自分を向上させるための手段として、走ることを利用するとしたら、走っているときに感じる気持ちよさを犠牲にするほかなくなる。苦しみの先にあるとされる栄光のために、苦しくてもそれに耐えて走らなければならなくなる。人間の体に元々備わっている走る喜びを投げ捨てて、一時的な喜びしかもたらさない勝利の喜びを得ようとするのは、あまり賢明なこととは言えないような気がする。

「冒険の書」(孫泰蔵)の「はじめに」に次のようなことが書いてある。

学びって本来はすごく楽しいことなのに、どうして学校の勉強はつまらないのだろう?人生は本来すごくワクワクするもののはずなのに、どうしていつも不安を感じながら生きていかなければならないのだろう?
そんな疑問で頭がいっぱいになりました。そこで、この疑問の答えを求めて、行くあてもなく探究の旅に出ました。旅に出てみてわかったことは、ぼくの前にもたくさんの旅人たちが刺激的な旅をしていたことです。時に彼らの旅を追体験してみたり、ちょっと寄り道してみたりして、ぼく自身その旅を大いに楽しみました。
この本に書かれているのは、その旅路の記録です。

特に意識していたわけではないけれど、ぼくも知らず知らずのうちに探究の旅とやらに出ていたのかもしれない。面白いのは、「冒険の書」の中で、「世界に散らばる冒険の書」として紹介されている17冊の本の中に、「歎異抄(たんにしょう)」があったことである。歎異抄は、「僕という心理実験」(妹尾武治)の中でも紹介されていた。やはり、人が探究の旅にでると必ず出会うことになるのが歎異抄なのだなと思った。
ぼくが、ブログで歎異抄を推しているから、ある男性会員さんは先日、歎異抄のオーディオブックをダウンロードして聞いてみたということであった。「まったく分からなかった」ということだった。それを聞いてぼくは「そりゃ当たり前ですよ」と笑いながら言った。なんたって、800年前の言葉でそのまま朗読されているのだ(笑)。