日常日記

店長の日常

11時50分に起きる。体重58,0キロ、体脂肪率15,1パーセント。

「僕という心理実験」(妹尾武治著)がとても面白くて、昨晩は読みふけった。この本は、いわゆる自己啓発書の部類に入るのかもしれないけど、文学的で詩的な本である。「人間の業」というものを、真正面からみつめていて、感動しっぱなし。そして、時々、じーんと目頭が熱くなる。

 

今日のヤフーニュースで、以下のニュースが興味深かった。

 

news.yahoo.co.jp

 

以下のところが個人的にとても刺さった。

 

 不倫しようが薬をやろうが、そのどうしようもない人間の業を芸で見せるのが芸能人。だから一般社会の論理で評価するのは野暮、という意見はわからなくもない。とはいえ、人気者をやっかみ、やいのやいの言いたくなるのも、役柄とスキャンダルを重ねて感情的に見てしまうのも人間のどうしようもない性である。

 

ほんとその通りだと思った。スキャンダラスな行いをしてしまうのも人間業のなせるわざだし、それを責めたくなるというのも人間業のなせるわざである。誰もがみんな人間業に縛りつけられており、そこからどうすれば脱却できるのかというのが、ぼくの個人的なテーマであり、ぼくの「結婚論」のテーマでもある。夏目漱石は、結婚について、「明暗」の中で、「夫婦和合も必然だし、夫婦不和も必然である」と言った。男女が惹かれ合い、結婚するのも人間業であれば、その後、一つ屋根の下で長い間暮らしているうちに、二人の関係性に何かしらの不和が生まれるのも人間業なのだと思う。夫婦二人で協力し合って、この人間業に立ち向かうことができれば、人間業からの脱却も可能になると思うのだけど、それは至難の業であるから、大抵は、人間業に呑み込まれてしまうことになるのではないだろうか?

 

「僕という心理実験」の中の、以下の記述がとても興味深かった。

 

イケメンで大金持ちの俳優の不倫を一般的な見た目の我々が批判するのもまたおこがましいし、その権利はないと感じている。それくらい彼ら超絶イケメンたちと自分では、外界からの刺激が異なるはずだからだ。イケメン俳優がどれほどモテるのか?  どれほど簡単に女性がついてくるのか?  ブサイクには想像すらできないが、おそらく僕たちの想像を超えてさらにモテるはずだ。 

 

イケメンや美女というのは、ある意味、高級バイキングで好きなだけ、なんでも自由に食べられるような状況にいる存在と言ってもよいのかもしれない。多くの誘惑にさらされているのだ。それが結婚した途端、突然、1種類しか食べられなくなる。これは、われわれ一般人が、想像もつかないくらい、辛いことなのかもしれない。

 

また、「僕という心理実験」は、このあと、このように続く。

 

90年代を席巻した元祖恋シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』。このゲームで毎回同じ女性キャラ、例えば鏡魅羅だけをターゲットにしてデートを繰り返した( 250回くらい)人はいただろうか?  そんな人は皆無だろう。普通なら 26回目くらいで、如月さんに会いに図書館に行き始める。ゲームの登場キャラ全員とデートしようとしただろう。  なぜか?  それが可能な環境だったからだ。あのイケメン俳優は〝人生がときめきメモリアル〟なのだ。いつ誰にアプローチしても、手順さえ間違わなければ受け入れてもらえるのだ。

 

「ときめきメモリアル」をぼくはやったことがないのだけど(やったら、確実にはまりそうで恐かった)、「イケメン俳優は、”人生がときめきメモリアル”なのだ」というのには、笑ってしまった。