日常日記

店長の日常

7時30分に起きる。体重57,8キロ、体脂肪率14,9パーセント。

体重が上昇傾向にある。昨晩深夜に「つけ麺大王」で、「つけ麵」と「ミニ麻婆丼」を食べた。美味しかった。

キャンドル・ジュンのことを考えていたら、ふと、少し前に読み、感動した、アガサ・クリスティーの「春にして君を離れ」のことを思い出した。この本はすごい本である。あまりのすごさにびっくりした。この本は、phaさんの本「人生の土台となる読書」で知った。アガサ・クリスティーといえば、知らぬものは誰もいないミステリーの女王だけど、「春にして君を離れ」では、誰も死なない。事件という事件も起こらない。けれども、アガサ・クリスティーは、一人の良妻賢母の女性を通して、世界中のありとあらゆる事件の元になっているエゴイズムを活写してみせたのだ(とぼくは思っている)。phaさんは、「この小説を読むたびに、いろいろと思い返すことが多すぎて精神が不安定になってしまう」ということだけど、ぼくとしては、むしろ、慰められ、また、大いに感動させられるところが多かった(もちろん、phaさんと同じように不安定にさせられるところもあったけど)。とはいえ、夏目漱石ほどではなかった(どこまで、漱石推しやねん)。世間では、善良な市民とされる普通の人々の奥に潜むエゴイズムが問題にされることは、ほとんどないように思う。そんなことは誰にだってあることだから、ニュースになることもない。ニュースになるのは、常に目立つものばかりである。しかし、アガサ・クリスティーや夏目漱石は、善良な市民とされる普通の人々の奥に潜むエゴイズムを描き、それがどのような結果を世界にもたらしているのかを容赦なく浮き彫りにした。漱石は、最晩年の随筆「硝子戸の中」で、エゴイズムを爆裂弾に喩え、以下のように述べている。

 

所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか。ただどんなものを抱いているのか、他も知らず自分も知らないので、仕合せなんだろう。