本日2本目のブログ。
昨日のヤフーニュースで、とても興味深い記事をみつけた。
記事の中の次の言葉にひときわ惹きつけられた。
“相手と対等である”という“愛する能力の前提条件”
ぼくが「結婚論」で書きたいと思っていることのひとつに、「相手との対等性」ということがある。
広末涼子は、相手と対等であることが、愛する能力の前提条件ということだけど、ぼくが思うに、お互いに相手と対等であると感じられることそのものが、すなわち「愛」なのではないだろうかということである。
逆に、相手と対等性が感じられないのであれば、それは「愛以外のもの」と言ってよいような気がする。
対等性こそが愛といってもよいかもしれない。
けれども、
対等な男女関係を構築するのは、
とてつもなく難しいことなのではないかと思う。
どうして難しいのか、
そして、どうすれば、対等な男女関係が築けるのか、
ということについては、
10年ほど前に、旧日常日記に書いたことがある。
ご興味のある方はぜひお読みいただきたし。