日常日記

店長の日常

9時10分に起きる。心身の調子があまりよくない。だるい。難しい本を無理に読もうとしてしまったせいである。その難しい本とは、昨日の、本のイベント「本は港」で買った「妾と愛人のフェミニズム」だ。副題に、「近・現代の一夫一婦の裏面史」とあって、この副題がぼくの興味を惹いた。絶対的に正しいものと信じられてきた一夫一婦制の問題を指摘する本が出版されているだなんて、知らなかった。出版されたのは、今年の3月のことで、まだ2ヶ月しか経っていない。この本を書き上げるのに、12年の歳月がかかったということである。ぼくの仕事の社会的存在意義を探るためにも、ぜひこれは読まねばなるまいと思って、すぐに買った。とても興味深く、面白い本なのだけど、言葉遣いが難しかったりして、読むのが大変だ。こういう本を読むためには、最初から最後まで読もうとしないで、パラパラとめくって、読みやすそうなところだけ拾い読みをするようにしている。じゃないと、すぐに頭がオーバーヒートして、具合が悪くなってしまうのだ。自分の頭脳の性能の悪さがうらめしい。それはともかく、この本によると、日本で一夫一婦制度が確立したのは、明治初期ということであった。それまでは、男が妻以外の女性である妾(めかけ)を持つことは、法律上認められており、妾が産んだ子供は、妻が産んだ子供と同等の権利を有していたということである。でも、どうして、妾の制度が廃止されたのかというと、日本を急速に西洋化する必要性からである。妾が認められている状態では、欧米諸国から文明国と認められないため、妾制度は廃止されることになったようなのだけど、とはいえ、一筋縄に簡単にはいかず、相当、熱い議論が交わされたようだ。妾に対して賛成の立場としては、妾の制度の廃止は、天皇制の存続にも関わるというとても大きな問題意識もあったようだけど、ぼくの考えとしては、「男は基本的に一人の女性では満足することはできない存在である」という、社会的な共通認識があったからのように思う。でも、男の欲望の充足のための妾制度は、文明国としてふさわしくないということがあって、廃止されたようだ(たぶん)。また、一夫一婦制度を確立することで、男と女が同等の権利を有し、お互いに協力的な関係を築き上げるという、素晴らしい理念もあったらしい。このこと自体は素晴らしいことだったと思うけど、とはいえ、素晴らしい理念に基づいて、理想的な社会を築けるほど、人間は理性的な存在なのだろうかという疑問が出てくるように思う。客観的、冷静に、人類の歴史を眺めるとしたら、人類は決して理性的な存在ではなく、むしろ、人間は、狂気というか闇を抱えている存在であると断定してもよいのではないかと感じる。歴史を学ぶと、人間は人間同士、殺し合いばかりしているし、他民族を奴隷として酷使するということも、当たり前のように行われてきたことが分かる。そんな人間が、夫婦関係においては、お互いに対等な立場を有するものとして、お互いを尊重しあい、協力しあい、平和な関係を常に築けると考えるのは、ちょっと短絡的すぎるのではないだろうか。とはいえ、ぼくは、一夫一婦制に基づいた、男女二人の間だけで完結する、理想的な夫婦関係を築くことは決して不可能ではないと思っているし、これまで主に「旧日常日記」において、そのための方法も自分なりに考えてきたけれど、男女二人の間だけで完結する、純粋で平穏な一夫一婦の男女関係を築くことは、ほとんどの人にとって、相当な困難を伴うことなのではないかと考えている。男女二人が一緒にいて楽しく過ごすことが一番大切だと思うけど、純粋な一夫一婦制を維持するために険悪な関係になってしまっては、本末転倒というものであろう。これには、セックスレス問題も関わってくると思う。でもほんと、一夫一婦制にまつわる問題は奥が深く、複雑で、話題も多岐に渡るから、考えていると、本当に脳が疲れる。でも、この本「妾と愛人のフェミニズム」は、大変興味深いから、少しずつ、読んでいきたい。とりあえず、ちょっと横になって寝る。