日常日記

店長の日常

13時に起きる。昨晩はあまり眠れなくて、寝たのはたぶん朝の6時過ぎだった。いろいろと考えごとをしていた。おもに考えていたことは、自分はいろいろと喋りすぎなのではないだろうかということである。一昨日、Mさんのお店で、いろいろなこと語ってしまったことを思い返し、恥ずかしくなった。ぼくは、自分が知っていることや考えていることを、得意げになって熱く語ってしまうという悪癖がある。やめたほうがよいと常々思っているのだけど、誰かと話をしていて、自分の興味のある話になると、つい熱く語ってしまう。そして、熱く語ると、翌日は、そのことを思い出し、具合が悪くなる。とはいえ、Mさんも、Mさんの彼女さんも、そして、Tさんにしても、ぼくが話しているときに、つまらなそうにしていたり、辟易しているわけではない。というより、先日、Mさんの彼女さんからは、「お話がとても興味深くて、もっと話を聞いていたいと思ってしまいます」とまで言ってもらえた。それで、嬉しくなって、また得意げにいろいろと熱く語ってしまったのだ。ぼくが、たくさん話しをした翌日に、具合が悪くなるのは、話している内容というよりも(もちろん、それもある)、「自分が話していることって面白くないですか?」と言わんばかりに、つい得意げに熱く語ってしまうということにあるような気がする。そのことで、あとから猛烈な羞恥心や罪悪感に襲われ、心身が不安定になってしまうのだ。その点、Tさんは、とても謙虚で、穏やかだ。それは、基本的に、20年前から変わっておらず、というより、最近は、より、その落ち着きを増してきて、仏のようである。ぼくの話も、そのほとんどの場合、途中でさえぎることなく、最後まで聞いてくれる。決して、適当に聞き流しながら聞いているのではなく(たぶん)、何か意見やアドバイスがあると、ぼくの考えを頭から否定するようなことはなく、落ち着いた口調で、ユーモアを交えながら、話してくれる。相変わらずの人格者だなあと思う。Mさんにしても、20年以上、お好み焼き屋を経営していることもあって、接客上手だ。接客ぶりをみていると、「素晴らしいなあ」といつも感心してしまう。一方、自分は適当すぎる。そんな自分に対して、Mさんは、「マスターは、あの仕事を20年もやっているなんてすごいですよ」と持ち上げてくれる。Mさんに、そんな風に、持ち上げてもらえると、ぼくの中から、得意げな気持ちがわき上がってきてしまう。謙虚で柔らかな人間になりたいと常々思う。