日常日記

店長の日常

8時15分に起きる。
昨晩、ブログを更新したあと、「あなたがしてくれなくても」の6巻~10巻を一気に読んだ。正直、6巻以降はあまり面白く感じられなかった。夫婦間のセックスレスに対する社会的関心はとても高いと思うから、もっと「セックスレス」について深く掘り下げてもよいのではないかと感じた。とはいえ、常に深いものを求めてしまうというのが、自分の悪いところなのかもしれないな。だからといって、人の心が分かる、味わい深い、紳士的な人間になっているわけでもなく、というか、むしろ、年々、愚かで浅はかで、自己顕示欲の強い面倒くさい人間になっていっている気さえする。そういえば、「吾輩は猫である」の中にも、次のような夫婦間の会話があった。

 

妻「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだっていいことはないでしょう」

夫「重いた、どんなことだ」

妻「重いというのは重いことですわ、あなたのようなのです」

夫「おれがなんで重い」

妻「重いじゃありませんか」

 

ぼくが漱石の作品に強く惹かれるのも、自分と同じような重い男がたくさん出てくるからだったりする。だから、漱石の作品を読んでいると、「自分だけじゃないんだな」と思え、常に自分の上に重くのしかかっている重みが軽くなるような気がするのだ。


昨日は、「あなして」のほかにも、Kindle unlimited(Kindleの月額制読み放題サービス)にあった「読む力大全~現代病『集中できない』を知力に変える~」を試しに読んでみたところ、これがじつによい内容だった。ぼくは、長年、集中力がないことに悩んでいたのだけど、この本によれば、「現代において、集中できないことは当たり前だから、集中力をつけるのはあきらめよう」とあり、目からうろこであった。さらに、「集中力なんてなくてもかまわない。しょせん、集中力なんて幻にすぎない。『集中しなければ』と意識してしまうから集中できなくなるし、『集中なんかしなくていいから気楽にやろう』と楽しめる趣味だと、集中力に意識がいかないから、逆に気がつくと集中していたりする。だから、『意識して集中力をつける』なんて幻なのだ」とまで書いてあって、とても気が楽になった。でも、ふと振り返って考えてみると、自分は、わりとこの本に書いてあることを、無意識的、意識的に実行していたところもあったようだ。集中力が絶望的なまでにないゆえに、1冊の本を最初から最後まで読むということはほとんどせず、その時々で、興味が惹かれる本を、適当にパラパラとめくり、興味を覚えたところをとりあえず読んでみるということを、長年、続けてきた。そして、継続は力なりで、こんなやり方でも、長年続けてきたおかげで、今では、わりと難しめの本も興味深く読めることが多くなってきたような気がする。けど、これがため、重い人間になっているところもあるような気がする。