日常日記

店長の日常

8時05分に起きる。体重は今日も計るのを忘れた。あれこれ考えて心が落ち着いていない証拠だな。昨日の夜は、横になって「こころ」を聴いていたら、つい寝てしまった。それがたぶん、8時頃だったと思う。11時ころに目を覚ますと、「こころ」の朗読は続いていた。ずいぶん先へと進んでしまっていた。起きると、ブログを書いていなかったからブログを書き、そのあと、また横になって、「こころ」を聴くことにした。またすぐに寝てしまった。オーディオブックは、横になりながら聴くのには、あまり向いていないのかもしれない。大抵、すぐに寝てしまうから、なかなか先に進まない。オーディオブックを聴く場所としては、車の運転中が一番かもしれない。渋滞にハマってもまったく苦にならない。エネオスカーシェアは、夜6時から朝6時までの間は、料金がとてもお得で、夜の営業は相変わらず暇だから、オーディオブックを聴きながらのドライブもよいかもしれない。
昨日のブログを読んでくださった女性会員さんからメールをいただいた。「理屈」についての内容だった。次のようなことが書いてあった。
「(マスターがどうのっていうんじゃないですけど)理屈で迫られると、自分の言いたいことを言っている本人はいいんでしょうけど、聞いている方は対応が大変です。こっちから理屈の正論を返すと、妙に納得されるか、むしろキレられるか、どうなるかがギャンブルみたいで、結局、そうだねってうなずくことしかできなくて、ストレス溜まりまくりです」
「理屈を聞いている方は大変」とは、おっしゃる通りだと思う。理屈を相手に押しつけようとすると、対話は不可能になるというのは、理論物理学者「デヴイッド・ボーム」の主張するところである。ボームが書いた「ダイアローグ」は、図書館で2回借りたのだけど、内容が素晴らしすぎるから、結局、買った。この本の副題には、「対立から共生へ、議論から対話へ」とある。また、本の帯には、「皆が望む未来を作る『対話(ダイアローグ)』という方法」と書いてある。ボームがいうには、人類は対話のやり方を知らないということである。対話はとてつもなく難しい。アジカンの「ダイアローグ」の最初の歌詞も、「難しいのは、いつだって承知の上♪」から始まる。対話ができる人は人格者であると言ってもよいのだろう。もちろん、ぼくは対話が苦手だ。