日常日記

店長の日常

現在23時30分。起きてから12時間が経った。その間、寝ていないのに、眠気はまったくこない。だから今日3本目の記事を書くか、と思った。日常日記プレミアム(以後、プレミアム)を読んでいない、読めない方に、プレミアムにはどんなことを書いているかというと、直近では、アマゾンの奥地に住む民族「ピダハン」について書いてる。世界一幸せな民族といわれ、じつに興味深いのだ。でも、今回、ここに書きたいのは「ピダハン」についてではなく、プレミアムについてでもなく、「本の読める店 fuzkue」のオーナーである阿久津隆さんの読書の日記についてだったりする。3年前の一時期、阿久津さんの書く日記にハマっていたのだけど、しばらく読んでいなかった。でも、最近、「ピダハン」について検索し、調べていたら、阿久津さんも「ピダハン」を読んでいたということを知り、阿久津さんは、ピダハンについてどのような印象を持ったのだろうかと興味を持ち、それが書いてある本「読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹」を図書館で借りてきた。借りてきたけど、まだ最初のほうしか読んでいないからピダハンはまだ出てこない。とりあえず、いまここでは、ピダハンについてはどうでもよい(いつか、書きたいと思っているけど)。いまここに書きたいのは、最新の読書の日記(8/1-7)にあった記事を読んで、「あ。まさに、自分も同じことをやっているかも」と思ったことである。それはこんな記事。前半は三上章さんという人の文章で、後半が阿久津さんの記事です。

 

8月4日(木) 

わたしは成功するか失敗するかです。失敗すれば、むろんそれきりです。成功すれば―だれも主語だの主述関係だの言わなくなり、言わないことがあたりまえ至極になって、そんなあたりまえ至極なことをムキになってのべ立てたかどでわたしは罰金を取られる、ということもないでしょうが、もはや用がなくなって忘れられてしまいます。そういう忘却の光栄を目ざして、わたしはなおムキになりつづけます。
三上章『象は鼻が長い』(くろしお出版)p.187,188

 

かっこいい。「わたしはなおムキになりつづけます」。これは身に覚えのある感覚だと思う。本を読む人たちを守ること、より確かに守れるように仕組みを整えていくこと、そこからの逸脱に対して愚直に向き合うこと、したくもない注意みたいなことをしながら秩序を守ること。フヅクエをつくりそしてつづける日々とはムキになりつづける日々だ。三上章がきっとそうであるのと同じように堂々と、胸を張ってムキになりつづけてここまで来た。

 

わたしにも身に覚えのある感覚だった。それも非常に。最近は、「自分はなにをムキになってるんだろう。そんなにムキにならなくてもよいのではないだろうか?」と考え込んでしまっていて、そういうこともあって、非常に文章が心にしみ込んできて、感動してしまった。とはいえ、自分は、「わたしはなおムキになりつづけます」とは、堂々と、胸を張っては言えない。ムキになりつづけるのはエネルギーがいるから、疲れる。だから、「そろそろムキになるのはやめたい」、そんなふうに思っているのだけど、でも、そんなわたしの思いとは裏腹に、ムキになりつづけてしまうのかもしれないな。

0時11分。とりあえず、まだ眠気はこないけど、横になろう。