日常日記

店長の日常

本日の営業も無事終了。コンプリートとはいかなかったけど、賑わってくれて感謝。最後にお帰りになったお客さまと、フロント前でいろいろ話をした。お二人は、お付き合いされるようになってから6年、エイジャデビューしていただいてから3年の、仲良しカップルさんである。彼女さんに、「彼氏さんにエイジャのことを打診されたとき、多少、抵抗があったんじゃないですか?」とお聞きすると、「ありましたよ。すごく。カップル喫茶なんていう存在自体知りませんでしたし」とのことだった。

彼女さん曰く、「抵抗はすごくあったのですが、彼が、しっかりしたところだから、安心だからということで、説得されて、じゃあ試しにと、来てみたら、とても紳士的で感じの良いカップルさんとご一緒になって、ちょっとびっくりしたんですよね」とのことだった。

ぼくは、彼女さんのように、カップル喫茶と聞いて、そんなところとんでもない、そんなところに行くなんて狂気の沙汰よと思っていた人がエイジャに来て、「あら。想像とは違って、案外面白いところじゃない」みたいに思ってもらえるのがうれしくて、ある意味、そのためにエイジャをやっているとさえ言えるかもしれない。とはいえ、これはタイミングが良かった例であり、そうじゃない場合もたくさんあると思う。ぼくにはどうしたってコントロールできるようなものではないから、ご縁というものにお任せるしかない部類のことだと思っている。

しかし、エイジャというのは面白い場所である。エイジャのような非日常の場所は、日常の場所とは、土台となる思考体系がまったく正反対のもので成り立っているような気がする。もしも、彼女さんがエイジャでされていることを、日常の知り合いの方に見られてしまったら、お互い、気まずくなってしまうと思う。そのあと、普通の顔して世間話なんてできないと思う。でも、ぼくとならできる。以前、ある女性会員さんに、「わたしの裏の顔を知っているのは、わたしの彼とマスターだけです」と言われたことがある。表の顔は、とてもまじめな奥さんで通っているということであった。

エイジャの仕事を通じて、文明社会の在り方というものに自然と興味を持つようになったような気がする。文明社会においては、表と裏の顔を使い分ける必要性が余儀なくされる。そして、プライバシーが尊重される。プライバシーの侵害が罪になるのは、人は誰しも、表に出せないもの、出したくないものを抱えている、だからそれを、暴くのは残酷であり、暴力的でさえあるということになるのだと思う。文明の進歩は、表と裏を切り離していく方向へと向かっていっているように思うのだけど、もしも、人間の幸福というものを考えたら、表と裏は切り離すのではなく、融合していく方向へと向かったほうがよいのではないだろうか。そんなことを思ったりする。