日常日記

店長の日常

本日2本目のブログ。

結局、今日はどなたも来られなかった。お店でのんびり過ごしていると、20年以上のお付き合いになる男性会員さんから電話がかかってきて、長話をする。

夜はヨガのレッスン。生徒はぼく以外に女性が2人の、計3人。何度か顔を合わせていることもあって、最初は、しばし雑談で盛りあがる。レッスン中、何度か腰に痛みが走り、その度に動けなくなり、先生に心配される。「映画の見過ぎでは?」と言われ、「そうかもしれません」と答えると、生徒の女性から、「軽いエコノミー症候群になっているのかもしれませんね」と言われる。腰がよくなるまでは、映画はみないほうがよいのだろうか。オッペンハイマーなど、まだいろいろみたい映画はあるというのに、なんてことだ。先生に、「今、ジャック&ベティで、インド哲学の神話のアニメが上映されてますよ」と教えてあげると、「え!その神話好きなんですよ。よい情報ありがとうございます」と感謝される。先生は、昔、演劇もやっていたらしいから、クオリアもおすすめすると、「すっかり、映画通ですねー。ジャック&ベティなんて、映画通の人が行くところですよ」と笑いながら言われ、「はい。にわかですが」と答える。でも、ヨガからの帰り道、「クオリアをみることが出来たから、もう映画はそんなにみる必要はないかもな」などということを思った。クオリアは、それだけ、ぼくにとって、個人的意義のある映画のように感じた。でも、クオリアの監督さんが言うには、「この映画は、観る人によって、感想がまったく異なるであろうことを意図して作った映画なんです」ということだった。「クオリア」という言葉の意味は「感覚質」という意味のようで、タイトルからして、それを意識したそうである。これは、本当に素晴らしい視点だなと感じた。同じものを見たり、聞いたりしても、印象は人それぞれ、まったく異なるのが普通だと思うけど、自分のクオリアこそが一番優れていると思い込んでしまう人もいるように思う。ぼく自身がまさにそういうタイプなのだ。エイジャでも、たまに、自分のクオリアを押し付けてしまうような遊び方をする方もいらっしゃって、ぼくにクレームが来ることもある。人それぞれ違うクオリアをお互いに尊重しあえることが、円満な人間関係には大事なんだろうな。そして、最高の快楽は、自分のクオリアと相手のクオリアが一致する瞬間なのかもしれない。