日常日記

店長の日常

8時に起きる。掃除、洗濯をし、ある男性会員さんからメールが来ていたので、返信をする。彼女さんと別れてしまったということだった。とてもエイジャのことを気に入ってくれていて、お店でも、何度か楽しくお話をさせていただいたカップルさんだったので、本当に残念に思った。男女関係というものは、本人同士でも、コントロールできない力で動かされているような気がする。出会うべき男女は必ず出会うことになっており、いつまでその関係が続くのかは、本人同士の努力でもどうにもならないところがあるような気がする。男女が出会えば、必ず、お互いに何かしらの影響を及ぼし合うことになり、人生経験が増える。その出会いによって経験すべきことを全部経験したとき、二人に別れが訪れるということもあるのかもしれない。

昨日は営業が終わってから、お手伝いさんと自由軒に行き、天津チャーハン、味噌ラーメン、チャーシュー盛りを食べ、帰りにセブンでアイスを買い、お店で食べた。それから、「ふてほど」の第7回、8回を連続でみた。先週は、ゴジラを観にいったから、ふてほどの第7回はみれなかったのだ。第7回、8回、両方とも、すごく面白かった。ちょうど、最近、不登校の問題、不倫の問題について、ブログに書いたばかりだったから、タイムリーだった。なんか不思議と、ふてほどとブログがリンクしているような気がする。ふてほどの面白いところは、毎週、放送が終わったあとに、ネットで賛否両論の議論が湧き起こるところだ。観終わったあとに、それをみるのが面白い。ドラマでは、不倫は過ちだとされているけれど、クドカン自身は、不倫をそれほど悪いことだとは思っていないような気がする。不倫は必ず誰かを傷つけるからよくないということがよく言われるけれど、その前に、男女関係を固定化させる一夫一婦制のあり方のほうが、人の心を苦しめているところがあるのではないだろうか。不倫というと、快楽に溺れているなどと揶揄されることが多いけれど、より本質的なところでは、苦しみからの逃避という側面のほうが大きいケースも多いのではないだろうか。漱石の「行人」で、孤独地獄に悩む一郎が、「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか」と言うシーンがあるけれど、そのほかの道として、不倫を入れてもよいような気もする。不倫が許されないことによって、自死や、心が病んだり、宗教に入信するということもあるように思う。ぼくとしては、そのほかに、「エイジャに行くか」も入れて欲しいところなのだけど。