日常日記

店長の日常

朝7時に起きる。起きてから、日常日記を更新。今日も「旧日常日記」で書いたものを紹介。旧日常日記を読むと、今、書いていることのほとんどは、すでに書いていたものだなあとよく思う。ほんと、同じことを何度も繰り返し書いている。

ブログを更新後、掃除や洗濯をし、それからヨガに行った。午前中のヨガは久しぶりだったけど、やはり、午前中のヨガはよいなあと改めて思った。最近、先生はインドに行っていて、昨日だか一昨日、帰ってきたばかりということであった。インドのお土産として、リップクリームとハーブティーをもらう。先生は来年もまたインドに行く予定らしく、先生の話を聞いていると、自分もインドに行ってみたくなってきた。ただ、団体行動というのが、自分は本当に苦手だから、行かないような気がする。行くとしたら、一人で3ヶ月くらい行きたいなって思った。3ヶ月間、毎日、アーユルヴェーダによる自分の体質に合った食事をし、ヨガをやったら、心身にどんな変化があるのだろう?

ヨガのあとは、近所の、古くからやっている定食屋さんで「豚しょうが焼き定食」を食べ、そのあとは、個人書店の「象の旅」に行き、お取り置きしてもらっていた「哀れなるものたち」を取りにいった。映画に感動したぼくは、その日、すぐに店主さんにメールをし、原作の小説のお取り寄せをお願いしたのだ。すると、「その本でしたら、お店にありますので、お取り置きしておきます」との返信がきたのだった。本を受け取ると、すぐに外に出て、歩きながら、「訳者あとがき」を読む。原作は、今から30年以上前の1992年に発表され、日本では2008年に翻訳が発表されたらしい。去年、文庫化されるにあたって、訳者の方曰く、まさか、この本が映画化されることになるとは思ってもみなかったということだった。以下、訳者の方の言葉。

2008年の「あとがき」を書いてから15年あまり。何とこの作品が映画化された。驚くのは時間の経過ではなく映画化の事実そのもので、重層的に構成された本作は映像に翻訳できないと思っていたからなのだが、そんな素人の予想や感想は所詮いい加減な思い込み。ファインダー越しに捉えられるヒロインの人生を彩る印象的な挿話の選択や場面構成、独特なカメラワークには映画人たち特有の感性を経由した原作に対する敬意と愛が表れているだろう。どこにそれが窺われるのか、また原作と映画の結末ー原作においては何を結末と見るかは意見の分かれるところだがーの違いがどのような効果を生んでいるか、そんなことを知りたい、考えてみたいという人は、本書をカバーも含めて隅々までお読みください、と宣伝してしまおう。

 

この「あとがき」を読んで、より一層、原作を読むのが楽しみになった。でも、志賀直哉の「暗夜行路」もまだ130ページくらいで、3分の1も進んでいない。ほかにも、読みたいのに読んでいない本が山積みになっている。いつになったら「哀れなるものたち」を読み終えることができるのだろう。結局、読まなかった、ということも、ぼくの場合、十分、あり得ることである。

昨日まで、ご予約はわりと伸び悩んでいたのだけど、今日は当日ご予約が増え、まさかの満席に。しかも、一時は補助席を使用するほどの盛況ぶりだった。コラムを読んでくださっている方が増え、皆さん、とてもマナーよく遊んでくださるので、安心して補助席を使うことができるし、今のところ、補助席使用に関する、否定的な意見も寄せられていない。むしろ、肯定的な意見を多数いただいている。皆さんの間にエイジャ特有のマナーとルールが浸透し、雰囲気の統一度が上がれば上がるほど、自由度が広がっていくような気がする。最近は、また、通常営業ではできない、新しいことにチャレンジしようかなという思いが湧き上がってきているのを感じる。面白いこと、楽しいことをやるためには、その前に、負の要因を取り除く必要があるのだと思う。そのことをしないで、面白いこと、楽しいことをやろうとすると、必ずしや、何かしらの壁にぶち当たることになるというのが世の常のような気がする。