日常日記

店長の日常

時代の移り変わり

昨日、ネトフリで「不適切にもほどがある!」の第1話をみました。笑いどころが満載で、面白かった~。われわれ世代には、たまらないドラマですね。で、これはわたしの悪い癖なのですが、このドラマをみて、またつらつらといろいろな物思いに耽ってしまったのであります。このドラマと、わたしが長年考えているテーマが重なったんですよね。それは何かというと、「マナーとルールの変更で、総合的な人の幸せは向上するのか?」ということであります。ドラマを見ると、昭和の常識と令和の常識は、ずいぶん変わってきたことを実感できます。ドラマの前半では、昭和のヤバい常識が描かれ、ドラマの後半では、現在進行中で形成されつつある、令和のヤバい常識が描かれております。昭和61年と現代では、40年の時間の経過があり、この40年の間、人類はたくさんの問題解決に取り組んできて、たくさんの法律もできたと思うのですが、果たして、幸福の総体は向上したのだろうか?ということは、たぶん、多くの人が考えてしまうことではないでしょうか?

エイジャでも、この21年の間、さまざまな問題解決、改革に取り組んでまいりました。そして、そういった取り組みは、わたしはやってよかったと感じているのですが、でも、エイジャ初年度の人たちが享受されていた楽しさや幸福感と、現在、現役で楽しんでくださっている人たちが享受されている楽しさと幸福感とでは、どっちのほうが上なのだろう?と考えると、さほど変わっていないというか、むしろ、初期のほうが、カップル喫茶業界自体勢いがありましたので、断然上かもしれないと思ったりします。とはいえ、とはいえですよ、エイジャ初年度から、ほとんど変わらないシステムでやっていたとして、エイジャは21年間存続できたのだろうか?と考えると、存続できたかもしれないけれど、度重なる苦情によって、わたしの心はとっくに潰れてしまっていたように思われます。逆に、わたしが20年前にタイムスリップをして、ラディカルな改革に乗り出し、「はい。来月からは全面禁煙、全面ノンアルコールでやります。あと、お客さま同士の連絡先の交換は禁止です」などとやり始めたら、当時のお客さまから猛反発をくらい、もしかしたら、エイジャは潰れてしまったかもしれないと思ったりします。で、わたしの結論といたしましては、「時代の移り変わりとともに、常識や価値観、マナーとルール等の変更は不可避なものであるけれど、それによって、人類の総体的な幸福度はほとんど変わらないのだろう」ということであります。そんなことをドラマ「不適切にもほどがある!」をみながら、みたあと、つらつらと考えたのでした。

 

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