日常日記

店長の日常

虞美人草を聴き終わった。寝ている間に知らぬ間に聴き終わっていた。昨晩、あと残り3時間くらいのところから聴き始め、全部聴き終わる予定だったけど、不覚にも途中で寝てしまった。でも、面白かった。漱石はどの小説を読んでも(聴いても)、天才だと唸らされる。ぼくのメル友の男性は、読書量が半端ないのだけど、その彼が、「未だ、日本文学は漱石をこえられていないんじゃないかと思います」と言っていたのだけど、ぼくもその通りなのかもしれないと思った。文学なんてあまり読んでいないから、分からないけれど。

漱石の小説において一貫しているテーマは、「文明の中で葛藤し、苦悩する人間」ということになるのかもしれないと感じた。虞美人草の中に、こんな対話がある。

 

「日本でもそうじゃないか。文明の圧迫が烈しいから上部(うわべ)を奇麗にしないと社会に住めなくなる」

「その代り生存競争も烈しくなるから、内部はますます不作法になりまさあ」

「ちょうどなんだな。裏と表と反対の方角に発達する訳になるな。これからの人間は生きながら八つ裂(やつざき)の刑を受けるようなものだ。苦しいだろう」

 

文明社会で後ろ指差されずに生活するためには、上部(うわべ)を綺麗にする必要がある。特に明治の時代は、その変化が急激で、苛烈であったのだと思う。西洋社会においつかなければ、日本が植民地化される恐れがあった。西洋社会に受け入れてもらうために、混浴を禁止し、春画を禁止し、妾制度を廃止し、一夫一妻制を採用することにした。表を飾ることに躍起になった。こうして、表と裏の分離が激しくなり、人間は生きながら八つ裂きの刑を受けることになった。そして、漱石が指摘している通りのことが今日も続いている。

でも、ぼくはこれは、仕方のなかったことだと思う。歴史の必然だったのだと思う。むしろ、明治の人たちの頑張りに感謝したいと思う。もしも、急速な西洋化に成功しなかったとしたら、より多くの悲劇が起こっていたように思うから。