日常日記

店長の日常

埋められない穴

たまたま下書きをみていたら、以下の記事をみつけ、「あれ?これは以前(夏頃)ブログにアップしなかったかな?」と思い、調べてみたら、書いただけでアップしていませんでした。「そういえば、これはちょっと真面目過ぎて堅苦しいかな?」と感じ、「しばらく寝かしておくか」と思ったことを思い出しました。

 

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一昨日、てっちゃんと飲み、帰ってきたあと、ぼくはすぐに布団の上に横になった。目が覚めたら、深夜0時をゆうに過ぎていた。どうやら3,4時間ほど寝ていたらしかった。お酒はまだ残っていたけど、ずいぶん楽になっていた。お酒を復活してから、気持ち悪くなるまで飲んだことはない。お酒を飲んでいると、「これ以上、飲んだらよくないな」という感覚が生じるから、そのときは、ソフトドリンクや水を飲むようにしている。酩酊している状態というのは楽しいけれど、それが長く続くことはない。寂しいけれど、これが真実なのだ。酩酊状態をなんとかして長引かせたいと思って、そのまま飲み続けようものなら、今度は、お酒の逆襲に合う。それまでは気分を高揚させてくれていたお酒が、次第に、気分を沈ませるものになる。気分を高揚させてくれるものは、使い方によっては、気分を沈み込ませるものでもあるのだ。個人差というものはあると思うけど、これはこの世界における法則とでもいえるものであり、法則ゆえに、なんぴとたりとも、その法則をねじ曲げることはできないのだと思う。法則を知り、その法則に自分になりに対処し、合わせていくほかないというのが、人間の運命なのではないだろうか。

酔いがいくぶん覚めたので、その日はパソコンを開いていなかったから、開いたところ、会員さんの女性からメールがきていた。エイジャには何度かいらしていただいており、お店でも少しお話をしたことはあったけど、メールをもらうのは初めての方だった。読むと、最近のぼくのブログを読んで、思うところがあってメールをしたということだった。メールの内容をかいつまんでいうと、女性会員さんは、彼氏さんとの関係において、不安や寂しさを感じているということだった。ぼくは、長文のメールをしたためた。お悩み相談のメールをいただくことはたまにあるけれど、大抵、長文になることが多い。なぜ長文になるかというと、それは、お悩み相談をくれた方に対してだけでなく、自分自身に対しても書いているからだと思う。だから、お悩み相談の内容に返信しながら、ぼくは自分で自分に言い聞かせようとしているのだ。

ぼくの長文メールの内容をかいつまんで言うと、その女性会員さんが感じている不安や寂しさは自分も感じているし、女性会員さんの彼氏さんも感じているし、人間だったら誰しもが抱えているものだと思いますよということだった。
少し前に「小向美奈子」の動画をブログで紹介したけれど、小向美奈子は哲学書や文学書をたくさん読んでいるということだった。動画の中でも、「哲学書ばっかり読んでるからね~」と笑いながら言っていた。トルストイやドストエフスキーといった、世界の文豪の小説もよく読んでいるらしく、「美奈子すげーな」と思った。小向美奈子は、「人は何かにすがらないと生きていけない」と言っていた。トルストイの言葉ということだった。本当にその通りだと思った。

AV監督で作家の二村ヒトシは、

人間には誰しも心の穴があって、その心の穴は埋められるものではないのに他人を使って埋めようとするから、愛してくれない人のことを好きになってしまうんだ

みたいなことを言っているということだけど、「でも」とぼくは思う。「自分を愛してくれる人を好きになり、相思相愛の関係になれたら、心の穴は埋められるのだろうか?」と。ぼくの答えは、おそらくは埋められないだろうというものである。一時的には埋められると思うけど、長い目でみれば、難しいのではないだろうか?時間は常に流れていて、人の心や環境も常に変化している。下手をすると、心の穴はもっと広がってしまうかもしれない。夏目漱石の「こころ」の中で、「先生」は次のように言う。

「かつてはその人の膝の間にひざまずいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載させようとするのです。わたしは未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を退けたいと思うのです。わたしは今よりいっそう淋しい未来のわたしを我慢をする代わりに、淋しい今のわたしを我慢したいのです。自由と独立と己とに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しさを味わわなくてはならないでしょう」

「先生」のこの言葉は、恋愛について語ったものではなく、親戚との金銭トラブルから出てきた言葉なのだけど、恋愛についても語っているのではないかと思う。誰かを好きになったり、誰かに好きになってもらえたという心地よい記憶は、時間が経ち、状況が変われば、失うことへの不安や心変わりをした相手への恨みや、相手に対する自分の気持ちが変わってしまったことから生じる罪悪感、といったものに変化してしまうことも多いのではないだろうか。こういったことは全部、心の中の埋められない穴から生じるものなのではないかと思う。心の中の埋められない穴は埋められないからこそ、心は、次から次へと、いろいろなものや人で埋めようとする。こういった状況で、どうやったら人間は幸福になれるのだろうかと思うのだけど、メールをくれた女性会員さんは、ぼくのメールへの返信の中で、自分で答えを出していたような気がした。

「自分がエゴを捨て、見返りを一切求めずに執着を手放せたら、
不安はなくなり、愛することへの喜びだけになるのでしょうか・・・」

とはいえ、このような心持ちに至るためには、大変な努力が必要になるのだと思う。