今日は終戦記念日。
というわけで、
戦争について書いてみようと思います。
少し前に、アインシュタインとフロイトによる、
こんな対話をネットでみつけ、読みました。
この記事の最後に、
こんな結論が記されています。
人間の心自体に問題があるのだ。人間の心のなかに、平和への努力に抗う種々の力が働いているのだ。
わたしが長い間、探究し続けているのも、「人間の心の中にある平和への努力に抗う力」だったりします。
わたしが、「別れない関係・その1」で書いたのも、この力のことで、これをどうすれば克服できるのかということが、わたしの個人的なテーマでもあり、エイジャというお店のテーマでもあります。
普通、戦争というと、国と国との間に起こる争いのことを指すかと思います。
そのため、日本では、8月15日が終戦記念日になっているのだと思います。
ただ、戦争というものをこのように認識している限り、戦争はなくらないように思います。
戦争というものは、一人一人の心の中で起こっているものだという認識が必要ではないかとわたしは思うのであります。
国と国との戦争は、戦争の一形態であり、お互い好きになって結婚した夫婦の間で起こる喧嘩も戦争ですし、幼稚園生がおもちゃの取り合いで取っ組み合いの喧嘩をするのも戦争だと思うのであります。
なので、
「どうして戦争はなくならないのか?」という問いは、
「どうして夫婦喧嘩はなくらないのか?」
「どうして幼稚園生のおもちゃの取り合いによる喧嘩はなくならないのか?」
という問いと、
まったく同じだと思うのであります。
国と国との戦争も、夫婦喧嘩も、幼稚園生の喧嘩も、
すべて、人の心に働いている、「平和への努力に抗う力」によるものだと思うのであります。
このような認識なしに、
戦争の悲惨さを語り続けていっても、
戦争の本当の原因に対処しているわけではないので、
ほとんど意味がないと思うのであります。
そして、
島内景二さんの「源氏物語ものがたり」を読んで初めて知ったのですが、
室町時代の「宗祇(そうぎ)」という人は、
古典である源氏物語を読むのは、その成果を現代政治に活用し、平和な時代を作るためだ、と祈りにも似た気持ちを大切にした。
ということです。
また、室町時代後期から江戸時代初期に生きた「細川幽斎(ほそかわゆうさい)」という人は、
宗祇(そうぎ)の「源氏物語は平和を実現するための政道書である」とする見解を、現実の政治で実践した。
ということです。
また、江戸時代の「北村季吟(きたむらきぎん)」という人は、
源氏物語の理念を最高権力者(徳川綱吉)に進講した。
ということです。
源氏物語は、「男女の恋愛劇」みたいなイメージしか持っていなかったのですが、そんなことだけではなかったんですね。
「源氏物語ものがたり」を読むと、源氏物語というのは、人の心に働いている種々の力を明らかにしたものなのではないかと思いました。以下、引用です。
この物語の最大の特徴は、「老若」「男女」「貴賤」「都鄙(とひ)」「美醜」のすべての人間が登場しているという幅広さにある。それによって、「男と女」だけでなく、「親子」「兄弟」「主君と従者」「友と友」「師弟」などの、ありとあらゆる人間関係を描くことができた。しかも、どの人物にも血が通っている。 源氏物語は、「人生の百科全書」でもある。誕生から死去まで、人間が経験する出来事のすべてが、ここに凝縮している。この物語に没入した読者は、人生のすべてを体験できるのだ。ありとあらゆる恋のバリエーション、男同士の友情と戦い、女同士の嫉妬と和解、遠い世界への旅立ちと帰還、そして生活を潤わせてくれる芸術の数々……。
限りあるたった一度の人生に縛りつけられている読者でも、源氏物語の最初のページを開けば「無限の人生」への入門を許可される。読者は、何にだってなれる。何だってできる。どこへでも行ける。どんなにだって生きられる。人間に許されているすべての行為が認められ、人間が抱くすべての感情が体験できる。 何と豊饒な世界であろう。
全ての人の心が平和になりますように。もちろん、わたしの心も含めて。