日常日記

店長の日常

5時30分に起きる。

久しぶりに5時台に起きることができた。爽やかな目覚めだった。起き、掃除や洗濯をしたあと、ジョギングに出かけ、戻ってきて、シャワーを浴び、すっきり爽快な気分を味わった。

今年に入ってから、フィットネス系のコラムのご要望を何度かいただいたこともあって、昨晩、重い腰を上げて、3本アップした。3年前に「旧日常日記」に書いた「ダイエット2段階理論」、「その2」、「その3」を下敷きにして書いたら、すぐに書き上げることができた。主なテーマは、「本来、身体を動かすことは気持ちがよいことのはずなのに、どうしてそれが面倒くさいものになってしまったのか」ということである。これは、ぼくは、学校教育の影響だと思っていて、体を動かすことは本来、遊びなのに、それが「競技」になってしまったせいだと思っている。学校教育によって、他者と競技をして、勝つ喜びや、努力が報われる喜びというものが重視されるようになり、これが現代社会の不幸の要因になっているのではないかと思うのである。勝つ喜び、努力が報われる喜びよりも、体を動かすことそのものにすでに備わっている心地よさや喜びのほうが尊いものであり、わたしたち現代人は、その喜びを取り戻すべきであり、そうすれば、自然と体を動かすことを習慣化することができるのではないかと思うのである。

「運動」についではないけれど、同様のことは、最近読んでいる「冒険の書~AI時代のアンラーニング」にも書いてあったりする。

 

なぜ学校の勉強はつまらないのだろう。

そういう素朴な問いから

ぼくは冒険を始めた。

 

どうして

つまらなくなってしまったのか?

なにが原因なのか?

 

そう問われると、

なかなか答えることができない。

 

それを探る過程で、

ぼくを大いなる冒険へと

踏み出させてくれる人に出会った。

 

興味のないこと、好きでもないことを無理やりやらされたって身にならない。それどころかそれを嫌いになるだけで逆効果でしかない。

 

これまでのように誰かから教えてもらい、それを覚えるという学びのスタイルではダメ。自分で学びたいことを選び、自ら学ぶ。教えられたことをひたすらに覚えることが得意だった人たちは、これから人工知能にとってかわられてしまう。それなのに、学校はなかなか変わらない。そういう教育を受けた子供たちが、10年後、20年後に直面する厳しい現実を想像するとほんとうに恐ろしくなる。21世紀は答えのない世界。だから「教える」という概念もなくなる。