日常日記

店長の日常

9時に起きる。今日は、夜にY先生のヨガのレッスンを受けた以外、ずっとお店の中にいた。そして、本を読んだり、メル友にメールをしたりした。久しぶりに、「哲学者が走る」(マーク・ローランズ)を読んだ。体調を少し崩してからというもの、2週間くらい走っていなかったのだけど、読んでいたら走りたくなった。でも、今日は走りにいかなかった。レッスン以外の運動は、ヨガの太陽礼拝を少しやっただけであった。「哲学者が走る」は、哲学者が書いただけあって、面白いことがたくさん書いてある。ローランズのいう仕事の定義はとても興味深い。

 

わたしが何かを他の何かのためにするなら、わたしがすることは、シュリックによれば、仕事の一形態である。ここでの仕事とは、通常の意味よりもいくらか広義で、普通は仕事として考えられていないことをも含むことになる。それでも、通常の意味での仕事は、仕事の典型的な例である。わたしが働くのは、金をもらうためである。金の支払いは外的な目標で、わたしはこの目標に向かって(この目標のために)働く。同様に、もしわたしが健康でいたいから、あるいは長生きがしたからという理由だけで走るなら、わたしが走るのは仕事だということになる。

 

ぼくが、ブログを書くにあたって、気をつけたいと思っているのは、お客さんを増やそうとか、売り上げを伸ばそうとかいう意識ではなるべく書かないということである。書きたいことを書きたいときに書くことをなるべく心がけている。それは、ブログを書くことを、ローランズの定義における”仕事”にしたくないからだ。もしも、ぼくが、何かを獲得するために、ブログを書くとしたら、それは”仕事”になってしまう。書くことそれ自体を喜びとしたい。というか、ブログだけでなく、エイジャの仕事自体を、なるべく、ローランズの定義における”仕事”にはしたくない。娯楽といえるものにしたいと思う。

 

そして、ローランズは、遊びついて、このように語る。

 

一方、遊びはこれとはまったく異なる。遊びには内在的な価値がある。遊びはそれ自体に行われるものであるから、定義からすれば、それ自体に価値がある。遊びには価値があるが、仕事には価値がない。明らかに遊びのほうが仕事よりも貴重でなければならないのだ。

 

「明らかに遊びのほうが仕事よりも貴重でなければならないのだ」

 

いい。すごくいい。