日常日記

店長の日常

8時40分に起きる。体重60,6キロ、体脂肪率17,2パーセント。

起き、トイレに行き、体重を計ったあと、白湯を飲み、ヨガ。自分でやるヨガは太陽礼拝Aを10回、太陽礼拝Bを5回に、あとその他もろもろをやる。太陽礼拝は、ヨガの基本が詰め込まれているポーズであるらしく、とても気に入っている。ヨガというと、ストレッチ的な、体を柔らかくするものという印象があったけど、太陽礼拝は体幹トレーニング的な要素が強く、毎日続けていると、筋肉が確実についてくる。そして、気持ちがよい。

その後、日ノ出町のサイゼリヤに行き、図書館で借りた「神々の沈黙~意識の誕生と文明の興亡」を読む。今日が返却期限だったのだけど、結局、第2章までしか読めなかった。すごく面白いから、買うことにした。また借りるにしても、半年くらい先になるからだ。買うのは2回目になり、前回は10年前にAmazonで買ったけど、今回は、独立系書店の「象の旅」で取り寄せてもらって買おうかと思う。

「神々の沈黙」によると、「意識」というものは学習やひらめきには必要なく、むしろ邪魔になるということだけど、これはよく分かるような気がする。本を読んでいるときも、本に書いてある内容を意識的に理解しようと努力すると、努力すればするほど、理解からは遠ざかってしまうような感覚がある。理解とは、理解しようとしなくてもすっと心に入ってくることなのではないだろうか。スティーリーダンのアルバム「aja」の表紙を飾った山口小夜子さんの言葉に、「意図を排除して自分を無にすることから本質に触れる」というのがあるけれど、これも同じことを意味しているように思う。ぼくが学校教育に対して疑問を持っている理由もここにある。学校教育は、勉強でも運動でも、そのほとんどが、自然な興味や関心からではなく、意図的になされ、意図を強化することが多いように思うのだ。人間の意図というものは、結局のところ、人間自身を苦しめる結果に繋がるのではないだろうか。とはいえ、意図を捨て去ることは、とても難しい。